2015-05-04から1日間の記事一覧

生家

crystalrabbit 生家 彩子の生家は島の南東にあった。桟橋から見ると左前方の位置に当たる。 自動車が家に近づくに連れて道路は広くなり、いつの間にか敷地内に入り込んでいた。敷地内の広場を舗装道路が玄関前で廻っていた。そこで彩子と潤也が降りると、恭…

伊沼島

crystalrabbit 伊沼島 四〇分ほどで、巡航船は伊沼島についた。長い日が西に傾いて、海面を黄金の鱗のように輝かせている。桟橋は伊沼島の北側の入り江にあった。岬の突端を廻ると小さく旋回して桟橋へ横付けになる。そのとき一際エンジン音が高くなる。足下…

めまい

crystalrabbit めまい 四拾五歳だった。いつまでも、若いつもりでいたが、もうそんなに若くはない。年をとるということが不思議なような気持ちになるが、認めなければならないと、今では思う。 そんな気持ちに彼をさせたのは、ある朝の出来事だった。いつも…

フリージアはわたしよ

crystalrabbit フリージアはわたしよ フリージアが死んだ。貨物を満載した軽トラックに轢かれたのだ。 日差しが柔らかくなって、庭の植物の緑も日々少しずつその色を濃くしていた。 霞んだ空に朝から春風が舞っていた。物干し棹の片方が落ちて、白い洗濯物が…

春雷

crystalrabbit 春雷 若葉がそよ風に静かにゆれている。校庭の周囲をめぐるプラタナスの若葉が、春のやわらかい日に映えて、薄緑色に輝いている。 その若葉が、小きざみに、そしてゆっくりと葉全体でゆれている。紋白蝶が一匹どこからともなく翔んできて、緑…

ピエロがくれた金魚

crystalrabbit ピエロがくれた金魚 中国山地のうち、広島県と岡山県の県境のあたりでは、赤い魚は魔性のものの変化だと信じられており、現在でも、錦鯉や金魚を家庭では飼育しなゐ地域はかなりある。 川上翠庵「備後の伝承」(鳳文館、大正十二年) 一 土曜…

春霞

crystalrabbit 春霞 そこは、岡山県のS市の西側に位置する、小さな村だった。このあたりはどの村も水が豊富で、初夏に訪れれば緑の水田が目を奪うし、夏が終わって秋が訪れれば、黄金色の稲穂が風に揺れているのを見ることができる。 中国山地に湧く水を源…

島渡り

crystalrabbit 島渡り 珠洲(すず)の海人(あま)の 沖つ御神(みかみ)に い渡りて 潜(かづ)き取るるといふ 鮑珠(あはびたま) 万葉集4101 先の親方が春先に急死して、今瀬龍三に親方の役が突如廻ってきた。 島渡りの支度をする五月は間近に迫っている…

生月島

crystalrabbit 生月島(いきつきしま) —せとうち抄— 1 教育委員会の村瀬さんから、生月島へ行ってみないかという電話があったのは、春霞で遠目が効かない日が続いていた頃のことだった。佐賀県の生月島から、電話があって、私どもの関係者の墓が出てきたと…

ふり姫

crystalrabbit ふり姫 一 風がそよいでいる。日本海から吹き寄せる風である。 潮風がとおりすぎると、またもとの冷気が館をおおう。 「お兄さま、このところお父さまのお顔がすぐれないようですが……」 「戦のことは女子供は心配せずともよいわ」 と、フノム…

宮津幽斎日記

crystalrabbit 宮津幽斎日記 天正十年水無月二日 入江に入りかつ出てゆく潮の流れも、また味なものよ。 ・・・ 京よりの、急ぎの使者あり。婿殿の件を伝う。驚愕一再ならず。気を静めることこそ肝要なり。 光秀殿の今回の挙を使者より耳に入れ、信じ難きこと…

crystalrabbit 岬 雨上りの欝陶しい午後だった。私は長い電車の旅から一時的にも解放されたくて、接続している連絡船には乗らずに、そこで降りてしまった。 駅のホームをたどたどしく歩いて、駅前に続く商店街のほうへと、私の足はひとりでに向かった。この…

出航

crystalrabbit 出航 三羽のユリカモメが白い腹をみせて数回旋回した。 遠くで別の船の汽笛が長く尾を引いて鳴った。 緑色の海水が船と桟橋の間を流れていく。ゆれる船の間から、白い泡がまわりながら昇ってきた。白い巨体が静かに振動を続けている。スクリュ…