海辺の墓地

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海辺の墓地

                            

 断崖の下は海である。穏やかな浪が寄せては遠ざかる。幾年にもわたって浸食されて複雑な大小の穴が縦横に伸びた岩場に、浪は当たっては砕ける。白い泡が生じて瞬く間に消えていく。その音が風にのって崖を這い上がる。その音を追いかけているのではないが、坂道を登っても登っても、浪の音は続いていた。笠尾和子は、片手に花束、片手に水の入ったポリエチレン製の濃い水色のバケツを持って、すぐ後ろについてくる孫娘の美保に気をつけながら、海辺の墓地へと続く坂道を上がっていった。

 乾いた蝉の鳴き声が姦しい。尾根伝いに松が生えている。その緑の鋭い葉が風に揺れている。参道が二つに分岐するところに,百日紅が赤い花をつけている。滑らかな樹皮が太陽の光を柔らかく反射している。

 海岸に沿った道から、墓地への坂道に通じる、今し方見た光景を和子は思い出した。確か、子どもの頃には、海岸沿いにまっすぐ進むと小さな祠があった。今は荒れて、好き勝手に群生した茅の葉が海沿いの道を覆って、ウバメガシの群生に接していた。その先に何があるのかすらもわからない。かつては、御崎神社と呼んでいた。しかし、少し広い島の南側の海岸に勧請されて、そこも同じ名前で呼ばれるようになってから、こちらの御崎神社にお参りする人は希になった。そうしていつしか,この島で御崎神社と言えば、南側の海岸のものを指すようになった。さっき見た荒れた海沿いの道と、かつての小さな、しかし丁寧に掃除された参道が思い出された。墓地に来る人はもちろんのこと、御崎神社にお参りすることだけが目的の人たちもよく訪ねて来ていた。しかし、この寂れよう・・・。こちらの御崎神社にもお参りしなければ・・・

 墓地からは瀬戸内海が見える。白い浪をたてて小型の船が、西へあるいは東へと航行している。彼方の島影が霞むあたりに白い雲が層をなしている他は、澄んだ青空が広がっている。日中は暑くなると思われたし、それに何よりも人目を避けたかったので、むずがる美保を連れて、夜明け前に家を出てきた。初夏の熱射に襲われる前で,丘には、潮風が舞い、頬を柔らかく撫でた。潮風を避けるために無意識に細めた眦(まなじり)が、おのずと水分を呼び、小さな水滴となった。しかし、それも潮風に追い払われた。

 苔むした古い墓石の間にある真新しい土饅頭には、白木の卒塔婆と、その隣の飾り板に巻いた金紙が風に揺られて光っている。

 笠尾和子は、萎れ始めた古い花を手早く取り除いて、新しい花に活け換え、水を新しくしてから線香に火をつけた。数本を分けて美保に渡した。まず美保が挿し、それから和子が挿して、二人並んで手を合わせた。目の前の土饅頭の下には、娘のわずかばかりの骨が骨壺に納めて埋められている。やがて、この上に墓石を建て、その中に安置する。この海の見える墓地が、たった一人の娘の,終の棲家となるのだ・・・。潮風が、また頬を撫でる。

 眼を瞑ると、目の前の土饅頭の下に小さな骨だけになって眠っている良子の、突然の死のことが夢のように思い出される。良子の死とは一体なんだったのだろうか・・・ 

 ➡️ 奈良原村 crystalrabbit