大観覧車

crystalrabbit

大観覧車

 

 二人の乗ったゴンドラはゆっくりと地面から遠ざかっていく。

「さっき大観覧車の下にオリーブの木があったから、笑っちゃった。いい取り合わせね」 

 白峰千恵が奥の椅子に座って、小野寺進のほうを向いて笑った。

「悪い趣味だよ。それとも単なる偶然だろうか。隣りにキャベツ畑でもあったほうがよかった」

「キャベツ? 胃でも痛いの?」

「ジャガイモと馬鈴薯の違いよりも大きいかな」

 小野寺は千恵の問いかけは無視した。

 千恵の肩越しに、新緑の野山が見渡せる。千恵が外側で、小野寺が内側に座っていた。

「ジャガイモのこと馬鈴薯と言わなかった?」

「ジャガイモは南米アンデスが原産で、いろいろ旅してジャワ経由で日本へ来たからジャガイモさ」

「途中、大統領になったり、男爵になったりしてね」

 小野寺を向いて、千恵は目を細めて言った。

 小野寺は、ちょっと考えてから、「大統領? スカルノ? スハルト?」と、自信なさそうに口を開いた。

「ノー、ノー。 アスク ホワット ユー キャン ドゥ フォ ユア カントリー!」

アイリッシュ アメリカン!」

「ポテイト ファミン。ジャガイモ飢饉よ」

 千恵の口がほころんだ。 

「メイフラワーだけじゃなかった」

「メイクイーンもあった。・・・ジャガイモは馬鈴薯と違うの?」

 千恵は外側の遠くをちらっと見て、小野寺のほうへ顔を向けた。

馬鈴薯馬鈴薯さ。まだ見ぬ国のまだ見ぬ植物だけどね。そんなことも知らないようじゃあ、牧野先生に叱られるぞー」

「南国土佐を あー」

 

 その後のことになると、小野寺進も白峰千恵も、まるで白昼夢のようで、よく覚えていないと言った。

 しいて思い出せば、こんなことになろうかと、小野寺が語った。

「あれは大観覧車に乗って半分以上高く上がったところで起こった。最上部までは行ってなかった。人がゴンドラの外に浮かんでいた。千恵が最初に見つけた。南国土佐をあとにしてを歌い始めたと思ったら、急に表情が固まったようになったので驚いた。千恵の視線を追うと、人が浮いていたのだ。まるで死人だ。動かない。いや、その人自体は次第に高く上がっている。しかし、動かない。手も首も動かない。だから、死んでいるのかと思った。幽霊? そう幽霊だと思ってもおかしくはない。しかし、真っ昼間、公園に幽霊が出るのも変だし、幽霊だとは思わなかった。公園のアトラクション? それも考えた。でも、そこはお化け屋敷ゾーンとは違う。大観覧車なのだ。そこに蝋人形のようなものを出現させることはあり得ない。何と形容していいだろうか。トノサマガエルというのはどうだろうか。両手を上に上げるでもなく、横に広げるでもなく・・・。トノサマガエルの元気のないのを探してきて、四肢を四方へ広げて吊り下げたときの姿を想像してもらえればいい。そういう格好で、僕たちの乗ったゴンドラより、少し高いところをさらに上へと上がっていっているのだ。手品か、はたまた悪意ある遊技か? ・・・ 頭が上だけど少しのけぞっている感じだ。手を広げたままで。はっきり言えることは、目の前に人が浮かんでいるということだけだ。

 少し上昇してから、今度は下がりはじめた。その後がだんだんと下がるスピードは増したように思われた。そして、さっと下がって行って、視界から消えた。確か最後に見たときは頭の上の方が、あたかも後光のように光っているのが瞬間ではあったが見えた」

 終わりのほうになるにつれて声が小さくなったのは、それだけ記憶に自信がなくなっていったのだろう。

 その自信のなさを引き継ぐようなトーンで、白峰千恵は語り始めた。

「気がつくと、ひとつ上のゴンドラの向こうに人がいました。その人はふらふらと空中を漂っていました。かすかではあるが、下がっていたように見えました。初めはほとんど同じ位置で下がっているとは思いませんでしたが、やはり下がっていました。そして最後は、あっという間に降りていってしまいました。

 格好は何とも言いようのないものだった。手を広げてそしてのけぞっていましたからね。足は伸ばしままです。

 生きていたか死んでいたかですか? それはわかりません。生きていたと言われれば、そう見えたでしょうし、死んでいると言われればそうも思えたでしょう。ただ、不思議なと言うよりも気持ち悪かったというのが正直な感想です」

 これでは何が起ったのか、見なかった人に、わかるはずがなかった。crystalrabbit