家路

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家路                            

 

 瑚宝彩子は、夏休みになったら、白石潤也を伴って帰省し、家族に紹介する予定であったが、父の容態が思わしくないという連絡があったので、予定を変更して帰省することにした。そのことを彩子から告げられたとき、潤也は、是非一緒に行きたいと言った。

「うれしいわ。父はもう長くないかもしれない。だから、元気なうちに、貴方にも是非会っておいてほしいの。もちろん、父にも貴方を・・・ 口では何度も貴方のことは言って来たけれども、目の前で、これが私が選んだ人だと、父に紹介したいの」

 彩子の目は燃えていた。白石潤也は、彩子が一段と美しくなったように思った。

 二人は、岡山で新幹線から山陽本線に乗り換えた。倉敷で大半の客が降りてしまうと、二人は四人がけの席を二人で占め、向き合った。窓の外の景色が目に飛び込んできた。列車が西に向かっていくにつれ、家もまばらになり、水路をめぐらした田圃には緑色の稲が整然と並んでいた。山国育ちの潤也にとっては、平野が続き、田圃の間の用水路が水をほとんど流さずに、澄んだ水を静かに湛えているのが珍しかった。

「流れが止まっている」

「ええ」

「時間も・・・ 止まっているような・・・ 」

「ええ」

 彩子の目が一層輝いた。列車は次第に彩子の古郷に近づく。その景色を潤也が楽しんでいるのが、彩子にも嬉しいらしい。彩子は、東京の様々な顔が好きだとよく言った。毎日出会う、いろんなことを楽しそうに話した。そして、また故郷のことも。潤也も負けずに、自分の育った山国のことを話した。でも、彩子は、潤也の古郷の話を聞くよりも、自分の故郷の話をすることをもっと好んだ。そして、最後はいつも、一度来てよ、今度帰るとき一緒に帰ろうよ、ねぇ,と言った。

 潤也は、彩子が好きだと言った詩を思い出した。それは倉敷出身の詩人が、京都を詩ったものだった。古の都へタイムスリップしてしまいそうな、のどかな詩だった。

 彩子は小学校の遠足についてもよく話した。連島公園というのが、詩人薄田泣菫の生家近くにあって、屏風のような珍しい形をした詩碑の前でお弁当を食べた。その時覚えた詩だと言った。

「中学校、高校といろいろな詩を覚えたから、しばらく忘れていたのね。大学へ入って東京に来たでしょ。最初の二日は、母が一緒だった。でも、いつまでもそういう生活続けるわけにいかないよね。三日目だったかな。もう少しいるという母を、無理矢理東京駅へ連れて行って、新幹線に乗せちゃった。その日の午後、一人で部屋に座っていると、口が勝手に動いたの。私の故郷と京都は、まったくといっていいほど似てないのに、じんじん来るのね。暗くなるまで、涙が止まらなかった」

 そう言ってから、歌うようにその詩を聞かせてくれた。各連の最後の「かなたへ、君といざかへらまし」というところを、彩子は二回繰り返した。夕闇に霞む窓のほうを向きながら。

 かなたへ、君といざかへらまし

 かなたへ、君といざかへらまし

 潤也の頭の中で彩子の声が響いていた。

「ここよ」 彩子の声で、二人は立ち上がった。

 長いプラットホームに数人の客が歩いているだけである。潤也は、ふと別世界に来たような錯覚に襲われた。これが現実なんだ、これが日常なんだ。日本全国どこでも、午後の駅なんて閑散としたものさ。東京や、一部の都市が特別なのであって、これが当たり前なんだ。潤也は、こう自分に言い聞かせなければ、現在の時間の流れからは取り残されて、別の時間軸にもっていかれてしまいそうな気持ちだった。

 彩子に随って地下通路を通って細い路地に出た。改札口の反対側だ。潤也は,少しの間自分がどちらの方向に向いているのか分からなくなった。西瓜割りをするとき,タオルで目隠しをして,何回かくるくると回されたときのような感じだ。確か,列車は西へ向いて下り車線を走っていた。そこを降りて,跨線橋を越えて登りのプラットホームに移った。そこで下りた方向に向いて歩き,改札口は右手にあったから,北の方角に出た。駅舎を出るとすぐに右に回り,白いセメントの坂道を下がって再び右へ折れると地下通路で線路の下を通った。結局列車から降りたときと同じ方角の南に向かって歩いていた。彩子にとっては,通い慣れた道らしく何ら表示を確認することもなく,どんどん歩いてここまで来たが,初めて通った潤也には,果てしのない迷路のとば口に立ったような気持ちになった。

 二人の他に誰もいない。駐車場の傍の路地の突き当たりが信号だった。横断歩道が緑になると、信号につけられたスピーカーから「通りゃんせ」のメロディが、午後のアスファルトの上を静かに流れた。

「かなたへ、君といざかへらまし」の二人を迎える音楽が「とおりゃんせ」というのは、いささか奇妙に思われた。潤也は、幼い頃感じた、この歌の暗い雰囲気を思い出した。特に秋の夕暮れ、八幡様の神社でこの歌を思い出し、背筋が寒くなったことがあった。

 

   とおりゃんせ とおりゃんせ

  ここはどこの細道じゃ

   天神さまの細道じゃ

  ちょっと通してくだしゃんせ

   ご用の無いものとおしゃせん

  この子の七つのお祝いに

   おふだを納めに参ります

  行きはよいよい 帰りは怖い

   怖いながらも とうりゃんせ とうりゃんせ

 

 意味はよくわからないけど、怖い歌だと潤也はいつも思う。その怖さだけを心のどこかに秘めて、子どもは成長する。どうして、このような歌が童歌(わらべうた)として、子どもの間で歌われるのだろうか。

 子どもだけで遊ぶと怖いから、日が暮れたら早く帰れという意味であろうか。都会と違って、公園などない田舎の子どもにとって、遊ぶところといったら、神社やお寺の境内だ。だいだい躾の厳しい家の子から、早く帰って行く。烏が上空高くを塒に急ぐ頃には、西の空は赤く染まり、八幡様の大銀杏が鬱蒼とした影を作る。日が暮れないと親が帰って来ない三人がいつも最後になる。

 てんじーんぃさまの ほそみちじゃー

 天神様も八幡様も子どもにとっては区別はない。ひょっとしたら、この神社のことかな、と思っていると、誰かが、真っ暗だ、はよ帰ろー、と言って走り出す。残った二人もわっと言って別々の方角に向かって走る。振り返ると怖い。石段の両側を戍っている狛狗が睨んでいる。その後ろの大樹の黒い大きな影から何か出てきそうだった。あの時は怖かったと、潤也は今でも想っている。

 行きはよいよい 帰りはこわい

 あるいは、人は決して足を踏み入れてはならない異界があることを、教えている歌かも知れない。子どもは成長するにつれて行動範囲が広がる。それを無理矢理広げたい衝動に襲われるときがある。川上へ、あるいは川下へ。山の向こうへ、あるいは川の向こうへ。普段行くことのないところへ、子どもだけで行ってみたくなることがある。村の中心からはずれると民家がまばらになる。新しく買ってもらったばかりの自転車で、その先まで行ってみようと思った。家など一軒もなく、土手の薄は青空を背景にして風に揺れている。道ばたの蓬は土埃を被って項垂れている。小さな道がくねくねと丘を避けてどこまでも続いていた。

 来たこともない道をさらに進むと、傾きかけた小屋があった。小屋の外では背の低い髭もじゃの、村で見たことのない男が、七輪で火をおこしている。目が合うと、男は何か取りに行くような仕草で中に入った。潤也は見てはいけないものを見てしまったように思った。薄が風に揺れていた。その小さな音の他には何もなかった。急に寂しくなった。自転車を慌てて反転させた。帰ろうとして、ペダルを踏んでも踏んでも自転車は進まない。・・・潤也が小学校に上がる前の記憶だ。

 行きはよいよい 帰りはこわい

 ―世の中には、行ってはいけない世界がある。

 横断歩道に一歩踏み出すとともに、潤也は後方を振り返った。道路にそった駐車場の隅にある小さな木製の祠の中には赤い鳥居と焼き物の狐があった。狐の細い目は潤也のほうを向いて笑っていた。さらに後方の、さっき通った細道の彼方、駅の裏手には広葉樹の茂った丘があり、大理石でできた白い鳥居が半分ほど見えていた。

 てんじーんぃさまのほそみちじゃ というメロディとともに二人は横断歩道を渡り終えていた。 

 先のことはともかくとして、行きはよいよいだ、と心の中で歌いながら潤也は汗を拭って、彩子のほうを見た。六月の午後の日は彩子にも夥しく降り注いでいた。彩子も潤也のほうを見てうれしそうに微笑んだ。

  かなたへ、君といざかへらまし。

  かなたへ、君といざかへらまし。

 彩子の顔は、輝いていた。

 

 歩道を渡ってから倉庫の反対側に廻ると、海のにおいがする。潮風というほどのものではない。岸壁に付着した海草が潮が引くと乾いて、海の香りを放つのだ。自動車の騒音が消えて、小型船舶のエンジン音に変わったと思うと、護岸の向こうに漁船のマストが覗いている。桟橋に近づくと、漁船だけでなく高速艇や巡航船が係留されているのが見えた。少し離れたところにある別の桟橋へ向かって、フェリーボートが滑るように接近してきた。

「伊沼島まで。大人二枚」

 小さな窓口の向こうには、中学生のような子どもが切符を売っていた。

 ➡️ 伊沼島  crystalrabbit

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