宮津幽斎日記

crystalrabbit

宮津幽斎日記

 

 天正十年水無月二日

 入江に入りかつ出てゆく潮の流れも、また味なものよ。

 ・・・

 京よりの、急ぎの使者あり。婿殿の件を伝う。驚愕一再ならず。気を静めることこそ肝要なり。

 光秀殿の今回の挙を使者より耳に入れ、信じ難きこととはじめは思った。しかし、二報が入ったときには、既に信じていた自分であった。そして自分は、光秀殿との邂逅より、今回の挙を、自分自身に納得させる出来事を拾い集めていた。

 信長殿は確かに立派な人ではあった。しかし、婿殿が何かをなそうというのなら、協力せねばならぬと思う。 

 婿殿との出会いが鮮やかに脳裏を駆け巡る。あの最初の印象がこれだったのだろうか、と思いもする。

 細き眉、蒼碧の双の眼中に宿した鋭い光、知恵と野心にその瞳は燃えていた。

 光秀殿とはじめて顔を遭わせたのは,秋も深まった山里の夜だった。

 あの頃は、お互い苦しかった。自分は自分で、出仕つかまつる足利殿の不如意な境遇に、そのまま従っていたし、光秀殿は道三斎藤入道殿と落魄の運命をともにしていた。

 ・・乱世である。明日の世がどうなっているか、誰もが予想できない世の中だった。何かなさねばならない、と両人とも思った。しかし、希望とてあるはずがない。明日をもしれぬ、今日をもしれぬ日々だった。

 我々は多くを語らなかった。いや、それでも、寡黙な光秀殿にしては、よく話したほうかもしれぬ。その話した事柄の多くはもはや私の脳裏にはない。ただ、その時の鮮烈な印象だけが、今も鮮やかに脳裏に甦ってくるだけである。あの理知、あの明晰さ、そして心の内から滾々と湧きいずるような熱情・・これこそが新しい時代を切り開くものだと思った。また、ここにいるこのような人によって歴史が作られていくのだと思った。

 わたしたちは、その夜、何かを確信していたに違いない。それは、近い将来に起こるとは確信できないが、いくらかは先だが、いつか必ず訪れる自分たちの未来だった。二人がお互いに力を合わせれば、我々の運命を変えていくことができる。自分たちの人生を切り開いていくことができる、という確信であったに違いない。

 その日から我々は互いに助け合って、生というものにより積極的に立ち向かった。だからといって、人生が一変するものではない。少しずつ、未来に向かって生活を向上させること、それだけであった。それだけである。その我々の日常は傍目には何も他と変わらぬように写ったに違いない。その日その日の行いは昨日と何ら変化はない。明日もまた同じである。・・傍目にはかくの如し。されど我々は日々戦っていたのだ。何と。そう、その日の生活と未来の夢の中で。自己の宿命の中で何をなすことができるのかを。

 

 そんな運命に対して何かを期して、自らの生を託すような気持ちで、送っていた日々の中から、今の境遇へと我々を導いた糸が信長殿であった。信長殿は、鋭い一本の糸、運命の糸ではなかったか。そして、その糸を我々は異なる側から掴んだ。それを我々は力一杯引いた。しかし、引いたのは我々だけではない。我々が引けば引くほど、引っ張ってくれる者がいたのも、紛れの無い事実である。

 光秀殿のしうちが、わからぬわけではない。しかし、何故に、彼が事を起こさねばならなかったか。私にはいずれにしても深い深いなぞである。

 とまた、この快挙を心のなかでは快哉を叫ばずにはいられない。こういうことをだれがなしえようか。光秀殿よくぞやってくれました。

 信長殿のお仕事も確かに素晴らしいものではあった。しかし、内心これでいいのだろうかと、思っていた人がいなかったとはいえまい。信長殿のなされたことは、我々の理解も及ばぬほどの新しさがあった。戦のみならず、経営のこと、統制のこと・・いずれにしても素晴らしいことだった。また、果敢な行動明敏な頭脳、どれひとつとっても衆を抜きんでていた。良いことは良い。しかし、人に顰蹙をかわせる行いも多々あった。個人的には恨みも多くのこしたことだろう。

 

 才知に溢れた光秀殿は、そのときそのときで最大の努力をしたのではないか。今回の件が、突発的な出来事だからといって、光秀殿の計画が突発的になされたとはいえまい。しかし、ほんとうのことはわからない。光秀殿は非常に頭の回転の速い人だから、あの夜、急に思いついてあの挙にでたのではないか。そんなことも考えられる。あるいはまた、信長の癇癪が、光秀を怒らせたのであろうか。それも巻がえられなくもない。

 

 婿殿から催促の書状が届く。今しばらく時を待ちたい。

 果たして婿殿に天下をとる力量のあるやなしや。また、力量以前のこととして、人のこともある。信長殿に仕えてきた人々の顔触れを見るがよい。柴田殿、丹羽殿、佐久間殿、羽柴殿……いずれも尾張以来、信長殿と苦楽を伴にしてきなさった方々ばかりである。これら直臣の武将に対して、婿殿は蜂谷殿や蒲生殿と同じように後に取り立てられたものらである。これらの人々は、どちらかというと信長殿の信任においてもあるいは恩賞においても、先の人々に比べると格段に開きがあった。

 あるいは、このような処遇ゆえに婿殿がかような挙に出たのであるが、さりとて、婿殿に味方をする方々が幾許かあるや。

 今日も心穏やかに過ごせたことを、何よりも慶びたい。人と生まれて、短い一生を送る以上は、何事かなさねばならぬような気持ちに襲われるのは、今にはじまってことではない。

 娘が可愛くない親などいない。、娘のためにも婿殿をご援助したい。この報せを初めて聞いたとき咄嗟に思ったように、今でも丹波の兵を総動員して京に馳せさんじたい。  

 

 親しきものの便りにて、婿殿のことなど伝え聞く。蒲生氏、筒井氏等にも挙兵を促す。されとて、従う者なく日々過ぎ行くなり。

 また、信長殿の無念さのいかばかりなり。足利義昭天正元年

 天下統一に向かって破竹の勢いで進む信長殿の才能というものもまた、驚愕に値するものであった。あれだけの期間に、あのような大業を成就された技はただ神、天狗のみのなせる快挙というべきか。

 しかし、考えてみれば、天下布武が信長殿の当初の目的であったかどうかは疑わしい。信長殿の最初の望みは天下に号令することではなくただ強くなる、負けないということだけだったのではないか。

 それがどうしたことか、その強さを維持していくためには、あのような形で天下に号令する、すなわち天下布武の命を発することが必要だったに違いない。しかし、天下とは一体なんであろうか。これが力の魔なるものである。義昭殿を擁して上洛したことにより、決して天下を支配したことにはならぬが、しかしその行為には天下を従えたという象徴的意味があったに違いない。それを信長殿がどれほど自覚していたかはわからない。ひょっとすると、そのことの本当の意味を理解していたの、信長殿ではなくて、光秀殿だったのではないか。

 と、すると、信長殿の近くあるということは、その力の魔の前に最も近いところにいたということができる。そんな光秀殿に信長殿を倒せれば、天下がとれるということが見えないわけがない。しかし、そのような光秀殿にも、また、羽柴殿をはじめとして下臣団の存在はよくわかっていたはずである。

 したがって、光秀殿に十分な勝算があったわけではなかろう。ひょとしたら、十分に考え抜いた結果ではなかろう。とっさのことでよく考えずにあとはやるだけという感じだったのではないか。

 もし、十分に考えぬいた計画であれば、あの光秀殿のことであるから、十分に緻密な計画をたてて実行し、決して失敗することはなかったはずである。

 

 

 葦辺に巣を作っている水鳥が何に驚いたのか一斉に飛びたった。最初の一羽が西に向かって飛び出したのに、つづく二羽三羽が南へ首をむけたものだから、あとから飛びたった数羽も南のほうへと首をそろえた。ややおいて、はじめの二羽が大きな流れが自分たちのほうではないことに気づき、小さく輪を描くように南へと旋回した。

 本能の赴くままに日々生きている野の鳥にさえ、ある種の集団の力をもっていることに、何か自然の奥深さをみるような気がする。

 

 家老・松井康之殿、光秀の死を報ず。慟哭することしばし。

 

 丹後の山に入る日に、天の橋立てがしだいに影を伸ばしている。折りから入江を出る潮が、瀬を速め、笹波の黒い反射がたゆとうている。空が茜色に染まり、その色が潮の中に染み込んで、静かな流れとともに移動する。

 自然の姿の乙なものよ、と思う。

 ・・連歌を。そう、連歌を。連歌に限る。明日、京に登り、信長様追善の連歌会を開くことにしよう。

 羽柴さまも、きっとお喜びになられよう。

 自分にできることをするに限る。

 ・・・

 安堵。crystalrabbit