島渡り

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島渡り

 

  珠洲(すず)の海人(あま)の 沖つ御神(みかみ)に い渡りて 潜(かづ)き取るるといふ 鮑珠(あはびたま) 万葉集4101

 

 先の親方が春先に急死して、今瀬龍三に親方の役が突如廻ってきた。

 島渡りの支度をする五月は間近に迫っている。龍三は辰年生まれだから、今年は四十八になる。前の親方が四十代のはじめから大役を引き受けていたというから、決して早いわけではない。しかし、先代からいろいろと伝授されて引き継いだというのではなく、先の親方の突然の死によって、仕方なしに引き継いだという形になった。

 幸い、先代は、ゆくゆくは龍三に後を託そうとしていたらしく、ここ数年は、何かと龍三を頼むようにして、煩瑣な調整をともにしてきたので、親方の仕事の大抵は、龍三にもわかっていた。だから、長老の篠山茂市翁から、親方を託されたときは、一瞬ひるんだものの、承知するのに時間はかからなかった。

 宿命のようなものだ、と龍三は思った。海士(あま)の者が安全に御神島に行き、その半年を鮑取りに費やすのは長年のしきたりだから、これを全うすることが、自分たちの仕事なのである。島渡りの統率の仕事をすることは、大変なことであるが、誰かがやらねばならない。先の親方の卓爺が、ゆくゆくは龍三に親方を譲りたいと、海士の年寄り連中に語っていたということを聞いていたので龍三は承知した。

 

 島渡りは、例年六月のはじめ、天気のよい日を選んで行われる。その日を決め、当日の実施を決断するのが、親方の最も大切な任務である。

 寒い日本海の冬が去り、山々に春の装いが戻ってきてから、時折なま暖かい風が吹く頃になると、海士の家々では、誰がともなく、そわそわとしてくる。島渡りの季節がすぐそこまで来たことに、みんな気づいているのだ。

 散髪屋も医者も、海女の家族とともに、御神島に行く。町をあげてみんなが一斉に御神島に行く。それが島渡りなのだ。

 御神島は、海上七十キロ先の、日本海にある孤島である。そこは山もなければ川もない周囲八キロばかりの孤島であるが、漁場には恵まれていて、鮑と海藻の宝庫であった。

 その御神島に行く日がやってきた。

 思っていた以上にその日は凪いで、絶好の島渡り日和だった。

「さあ、そろそろ出ようか」

 先導する篠山茂市翁とその家族が、他の者たちの準備を伺っていた。

「お願いします」

 龍三は意を決した。凪いでいるといっても、外海の波は凶暴である。一瞬の油断も許されない。小舟はまるで木の葉のように上に下にと揺られる。舳先が天を指したかと思えば、艫のほうから突き上げられるように、位置を変える。それにひるむことなく沖へ向かって船出せねばならない

 

 発動機船に六杯の手漕ぎ船が曳航される。数珠つなぎになっている。曳航が開始されるまでは、櫓をつけて押し寄せる波間で平衡を保っていないといけない。風が無くても、波が無くなるということはない。穏やかな波でも櫓船を陸へと押し寄せる。だから、家族全員が乗ると、岸から離れて出発を待たなければならない。早くから準備できている者たちは、波に揺られながら、今か今かと出発を待っている。

 先頭の発動機船が、綱を岸壁から離し、沖へ向かって方向を変えた。静かに離れて行く。二艘目との間の綱がだんだんと浮いてきて直線上になった。発動機船に曳かれて二艘目が方角を変えた。少しずつ進み出した。こうして、全ての手漕ぎ船がロープで直線になった。先頭の発動機船の龍三は立ったまま後尾を見つめていた。

 ようし、馬力を上げて!

 発動機の音が一段と大きくなった。それに連れて速度が増すと船首に当たる波も強くなって、上下の揺れも一段と大きくなった。

 そのまま、そのまま。

 しばらくこのまま走って、全体の調子を見るのだ。前方を見れば、日本海の広大な海が灰色の口を開けているようだった。今、その大きな口に向かって前進している。

 こうして約四時間の島渡りが始まった。crystalrabbit

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