春霞

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春霞

 

 そこは、岡山県のS市の西側に位置する、小さな村だった。このあたりはどの村も水が豊富で、初夏に訪れれば緑の水田が目を奪うし、夏が終わって秋が訪れれば、黄金色の稲穂が風に揺れているのを見ることができる。

 中国山地に湧く水を源とする川は幾多の山の傍を巡る。豊富な水量は、その途中に多くの恵みを分け与えながら、南へと流れ瀬戸内海へと潅(そそ)ぐ。この村も、川に沿って栄えた。川の両側には、稲田が広がっていた。山畑と田んぼが接するあたりには幾多の用水路が曲がりながら境界を作っていた。総じて肥沃な田園地帯だった。

 

 ・・・それは昭和三十年の春酣(たけなわ)のことであった。その日は、午後になって春霞とも靄(もや)ともつかぬものが薄く空を覆っていた。春の日が西に傾いたころ、日中の暖かい陽気がわずかに残っているなかを、禅寺の梵鐘が長く尾を引いて谷間を流れてきた。東の麦畑の彼方には、山の端をかすめて大きな満月が登り始めていた。麦畑のこちらの一段低くなったあたりには、乾いた水田のあちこちに、蓮華や菜の花が咲き乱れていた。

 麦畑と水田が接して一軒の農家があった。隣りに蒲鉾型の牛舎が並んでいた。ここでは、兄弟が酪農を営んでいた。兄弟の両親は早くに亡くなり、祖母によって育てられたという。その祖母は当時も健在で一緒に住んでいた。また、兄弟には妹が一人いた。この妹は、成人しているのに、仕事にも行かず、かといって兄たちの仕事を手伝う訳でもなく、家でぶらぶらしていた。ぶらぶらしていると言っても、何もしていないというわけではない。食事はもとより兄たちの衣服の洗濯くらいはできたのである。しかし、季節季節に応じて衣類を交換したりするというような、細かな家事をすべてこなしていたわけではない。・・このようなわけではあるが、働き者の兄弟と、やや仕事のできない妹は、この小さな村で、祖母とともにつつましく暮らしていたといっていい。

 小川が流れている。土手がどこまでも続いている。この村から、あちらの村へいくための幹線道路である。土手の下に小さな家がある。家のまわりには緑の濃い家畜の飼料となる青草が繁り、その間をコンクリートで仕切られたちいさな溝が走っている。その中を透明な澄んだ水が淀みなく流れていた。水面下は黄色味を帯びた砂粒が流れに洗われている。所々には緑の藻がくっついて左右に揺れている。

 飼料畑の向こうには田圃が続き、稲の切り株が、黒い土の上に幾本も平行に走っている。その切り株の間から、若草が芽吹いて、春の陽を浴びて深い緑に光っている。

 長男は牛小屋で敷き藁を替えている。次男は飼料にする玉蜀黍の葉を刈っている。妹は、さっきまで鶏を追っていたが、どこに行ったのか見当らない。また、土手のほうへ行ったのかもしれない。時々、土手に坐って草花を取って遊ぶのが妹の楽しみで、小さい頃からずっとこうして育ってきたという。

 両親が死ぬ前からそうしていたのだが、両親が亡くなってから、そうする時間がずっと増えた。

 

「その日は、朝からしきりと欠伸ばかりしていた。平和を絵に描いたような村ですから、春は欠伸くらいしかすることはなかったのです。靄は山の端のみならず、頭の中にもかかっていた。駐在所に大変な事件が起こったという連絡があったとき、咄嗟に牛が溝にでもはまったのではないか、と思ったものです」

 当時村の駐在所に勤めていた佐野さんはこう話していた。

 風が舞うと、土手の菜の花が大きく揺れた。でこぼこ道から砂塵があがった。黒い帽子が落ちそうになるのを、片手で押さえながら必死で自転車をこいだ。

 自分と自転車の影が踊りながらタイヤの前を行く。佐野さんが影から目をあげると、東の山ぎわに白い月が出ていた。首ねっこに当たる夕日は微かに暖かいが、風は心持ち冷たい。日が西に傾くと同時に気温がさがったようだ。そのことが、よけいに昼間の暖かさを思い出させた。

 だから、後で、この事件が殺人事件だとわかったとき、村でも評判のおとなしい青年が人を殺めたのは、陽気のせいだと思った。 

 

「兄やん、あれっ見ぃー」

 土手に近い道で、妹が叫んだ。

「うんん?」

「ほら、あれっ!」

 と言って妹は山のほうへ顎を回した。

「ああ、お月さんか・・・今日のは、ごっついのぉ」

 兄も顔を向けて答えた。

「違う、違う。ほらっ、あっち、あっち」

「ん・・・?」

「あっち。オニ、オニ。鬼が来るーっ!」

「おっ、鬼、鬼」

 兄は笑いながら、興奮して納屋に駆け込む。まもなく鍬を一丁肩に担いで持って出てきた。そして、弟も鍬をもって、兄に従ってきた。

 

 不思議な事件であった。なぜあの兄妹は旅の遍路を殺したのか。ほんとうに兄が供述するように、妹の妄想に兄が従っただけか。このように、当時本署の巡査長だった加納さんは回想している。被害者と加害者の間には、何ら殺人に結びつくような関係は存在しなかった。いや、殺人に結びつくような関係だけではない。全く関係がなかったのだ。被害者は、この村の者ではなかった。ただ、この村を通過しようとしただけだったのである。被害者は旅の者だった。

 結局、男兄弟のしわざということに落ち着いてしまったが、この兄弟が揃いも揃って、いずれも被害者が鬼に見えたというのには困惑したと加納さんは語った。

 半世紀ばかり前のことを語る人はもういない。土手下の真新しい盛り土の上には、新建材を使ったモダンな住宅が建ち、洗濯物が春風に揺れていた。

        

 その事件が起こったのは、私が四歳か五歳の時のことである。そのせいか、確かなことは覚えていないが、村中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたということだけは、いつまでも私の記憶の片隅に残っていた。とはいえ、私の頭の中には、具体的な事実は何一つとして記憶されていない。何やら大変なことが起こったというような感触があるだけである。しかし、成長するにつれ、何しろ小さな村のことだから、子供たちどうしの会話はもとより、傍で話す大人たちの世間話からも、折に触れ耳に入った。crystalrabbit