生家

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生家

 

 彩子の生家は島の南東にあった。桟橋から見ると左前方の位置に当たる。

 自動車が家に近づくに連れて道路は広くなり、いつの間にか敷地内に入り込んでいた。敷地内の広場を舗装道路が玄関前で廻っていた。そこで彩子と潤也が降りると、恭子はそのまま半回転して、植え込みの間に4WDを駐車してすぐに二人に追いついた。 

 潤也が振り返って見ると、なだらかな傾斜地で、縦に長い。右手の西側は、急傾斜で谷になっている。左手は山へ向かって巨木が覆っている。 

 潮風にのって樹木の臭いと若葉の香りが漂っている。西日を受けた額の汗が流れた。湿度のせいか潮風のせいか、皮膚からの汗の乾燥が押さえられているのだろう。 

 玄関の戸も柱も黒く光っており、何年もこの丘の上で潮風に耐えてきたことがわかる。玄関に続くアプローチは平らな御影石がおだやかなカーブを描いて配され、その隙間には白い小石が一段低く敷かれていた。

 母が出迎えた 

「お父様は奥の間よ」

「おじさんたちも、一緒に紹介しておこうかしら」

「あら、生憎ね。ご家族で西屋に行ってるわ」 

「残念。ご挨拶しておこうと思ったのに」 

「ご挨拶?」恭子が、はっ?という顔をして、笑いながら首を傾げた。 

 潤也が狐につままれたような顔をしているので、母が恭子を無視して説明を始めた。

「谷を隔てて向こう側の、猿橋家のほうのことですわ。誰が言い出したのか、向こうが西側だから西屋、うちのほうは東側だからひがし屋ですけれ、ど、みんなとう屋とう屋と呼びますわ。それで意味が通るんですから、さしつかえありませんけどね」 

 母は、少し微笑んで続けた。 

「今日は、西屋の法事で、権坪さんご家族3人が行ってます。本当は私達も行かなければならないのですが、ごらんの通り主人も丈夫でなく、最近は私まで体調が思わしくなくて、権坪さんにお任せしたような次第です」 

 母が一呼吸ついたところで、恭子が話し出した。

「父母の代わりというわけじゃないけど、私一人でもと思ったけど、今日は、二人の迎えがあったので、ここにこうしていまーす」 

「それは、どうも。恐縮です」

「いいえ、ちっとも構いません。そんなに楽しいものでもありませんし・・行かない口実ができて喜んでるくらい」

  恭子は屈託無く笑った。

「それじゃあ、お父様のところへ・・・」

 潤也に向かって、ちょと待ってというような顔をして、彩子一人が父のいる間に入った。彩子の足音が次第に小さくなった。 

 潤也には、かなり奥の部屋に行ったように思われた。 

「お父様、彩子です。今帰りました」 

「お帰り。まだ夏休みには早いが、いいのかい?」

「ええ、それよりも、お父様の、お加減は?」 

「ああ、おかげさんでね」

 襖や障子が開け広げられているので、すぐ近くで話をしているように聞こえた。

 

 次の間に控えている潤也には、暖かい家族の会話が、流れるように届いた。潤也から見ると、どこかよそよそしく他人行儀のようでいて、それにもかかわらず、言葉の端々に愛情が溢れているように思われた。潤也が四国に帰省しても、こんな会話はできないな、と思いながら、四国にいる両親を思い出した。しばらく電話もしてないが、変わりないだろうな。彩子のところと違って、潤也の両親は至って健康で、当分は心配する必要はなかった。

「彩ちゃん、お客様をいつまでもお待たせしないで」

 潤也の後ろにいる母が促した。

「はい」 

 彩子の声が奧から聞こえる。

「白石さん。こちらへ」彩子が、潤也の控えている次の間まで来て、促した。潤也と目が合った。いつも屈託がない彩子でも、こういう場合は緊張するんだな、といつもにもない蒼白な彩子の顔を見て、潤也は思った。

「お父さん、こちらが白石潤也さん」 

「白石潤也です。よろしくお願いします」 

「瑚宝です。いつも娘がお世話になっています。遠いところをよくお出でて下さいました。どうぞ、気楽になさって下さい」

「はい・・・」 

「こんな辺鄙なところですけど、自然に恵まれたところですから、くつろぎになって下さいね」 会話が切れないように母がうまく埋める。

「ええ、東京の喧騒が嘘のようです」

「二人とも、東京は東京で好きだし、私は伊沼島も大好きだけど、潤也さんに気に入って頂けるかしら」 

「ああ、そりゃあもう。・・・船から上がると、別世界にきたような気がしました」 

「そうでしょう。そうでしょう。島のものにとっても、桟橋から向こうは別世界ですから、そう感じられてもおかしくはない」

「いやね、お父様。それはお年寄りの発想で、今の若い人たちは、島も本土も同じ世界よ」

「最近は船の便も増えたし、それに自動車も積めるから、そうかもしれない」

 父はそう言って笑った。

「弟の紹介をしておかなくちゃいけないが、今は生憎留守でしてね」

「主人の弟さんことですわ。権坪さんと奥さんの百合子さん、それに七歳の翔坪君の三人がいるのですが、百合子さんの実家の法事でしてね」

「谷の向こう側のお家のことよ。さっき話してたところね。西側にあるので、みんな西屋と言っているわ。こちらが、とうや、東と書いて東屋ね」

「主人も私も病弱なものですから、家業の瑪瑙の切り出しから庭廻りのことまで、たいていは権坪さんにやってもらっていますわ」 

「彩子から、ご両親は高知にお住まいだとお聞きしましたわ」

「ええ、高知の山奥で、僕も中学校までそこで育ちました。」

「すると高校は、親元を離れて?」父親が言う。

高知市です。寮がありました」

「それは早くから自立していい」

 白石はすぐにうち解けた。彩子の父は、彩子から聞かされ、潤也が想像していたことに比べると、至って元気だった。彩子も似たような思いを持っているのだろうか、とさっきから、視線の定まらない彩子を見て、潤也は思った。

 

 東の湖宝家と谷を隔てて猿橋家がある。湖宝家に継ぐ伊沼島の資産家で,西屋と呼ばれている。その日西屋では,親戚縁者が集うて,先祖祭りが執り行われていた。

「佳奈ちゃんと翔坪君が見えないけど、どこに行ったのかしら?」

「そう言えば、そうね」 

 大人たちの宴席とは別に設けられた子どもたちだけの食事は、別室に準備されているはずだが、一向に主役の翔坪たちが現れないということで、始まる気配はなかった。夏の遅い夕暮れが、子どもたちの気分を一層開放的にしているらしい、と誰もが思っていたせいか、そのことを気に留める大人はいなかった。 

 表の座敷では、大人たちの宴席が酣を迎え、席は乱れ、互いに酌み交わしているグループがあちこちにできていた。表と厨房との間を頻繁に往復して給仕をしている婦人たちの幾人かは、一段落ついたせいか、話の中に入って動きが緩慢になったりしている。

➡️ 東屋 crystalrabbit

 

                                

 

 

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