北斗アニマルファーム

crystalrabbit

広島・北斗アニマルファーム  4月18日(日) 

 

 このところ急に太陽が明るさを増したようだ。山々の新緑がまぶしい。名川沙耶子は、サングラスを通してほぼ南中しかけた太陽を仰いだ。キャノンに70ミリを装填して、肩に吊っている。それにバッグの中に200ミリのズームを入れてある。この重さも、今では気にならない。

 白と茶のタイルが市松模様に配されている。それに続く入場ゲートの隣に小さく見えているのが管理棟だ。白のタイルには森の緑が段だら模様のように映っている。茶のタイルのほうは、太陽光を斜めに照り返して黒く見える。

 市松模様のタイルの上を歩くと、幼いときによくした、ケンケンパという遊びを思い出した。思わず口元からケンケンパという言葉が洩れ、市松模様に合わせて腰が浮き立つのを必死でこらえた。ケンケンパ、ケンケンパ・・・、心の中で何度も反芻して、努めて自然に振る舞った。遠くからはこのタイルは近くの山の緑を反射して凝った色の鏡のように見えたが、近づくとありふれた茶と白のツートーンだった。それでも、あまりすり減ってないせいかピカピカと輝いて気持ちがよい。バッグが前後に揺れるが、これはいつものことだ。

 受付専用の小窓があるわけではない。管理室と書かれた建物の入り口のアルミ製のガラス戸を半分開け、瀬戸内海タイムズのものですが、というとすぐに近くにいた薄いグリーンの作業着を着た中年の男性が寄ってきた。かなり長身である。沙耶子は名刺を出した。まわりの男性も同じような、薄いグリーンの作業着を着ている。ここの制服のようだ。別に現場にいるわけではなく、たいていの人がこの管理事務所でデスクワークをしているに違いない。が、現場作業に適した作業着を着るということにどのような意味があるのか、沙耶子には想像できなかった。男は、こちらへと、応接椅子に誘導した。薄茶の人工皮革だ。手摺りや枠が木製で、これなら長持ちしそうだと思われた。応接椅子が二セットあった。そのうちの西側の、入り口から見ると左手にあるほうに案内された。男は名刺を差し出しながら名前を名乗った。管理課長という肩書きだ。どうぞおかけください、という声を聞くやいなや沙耶子は腰を下ろした。男が何か?と、言わんばかりに無言で顔を上げたので、沙耶子は、促されるように口を開いた。

「あの、キンシコウのことを記事にしたいのですが・・・、ご連絡をありがとうございました。」

 キンシコウのことは、昨日の夕刻、動物園のほうから社に電話があった。

 中国原産で、孫悟空のモデルになった猿だという。『西遊記』は読んだことはないが、孫悟空の話は何度も聞いたり、テレビやアニメ映画で見たりした記憶がある。猿、といっても、話し、飛び、闘うのだから、多分に擬人化されたもので、そのモデルと深いつながりがあるとは思えない。しかし、一応は孫悟空のモデルとしていつも紹介される。来る前に調べた図鑑にも、孫悟空のモデルだと書いてあったので、そのことについては、従っておいてもいいと思った。

「非常に珍しい猿ですから、しばらくは置いておきたいのですが、今回は1週間しかないので残念です。」

 市内の幼稚園には案内を出したので、連日団体で訪れているという。

 担当者には話がついているということで、名川沙耶子は案内者なしで、一人で事務所を出た。

 北斗アニマルパークは、初夏を思わせる日差しに輝いていた。黒いアスファルトが、銀色に光っている。中国から送られてきた孫悟空のモデルだと言われているキンシコウ(金糸甲)の公開は、1週間ということで、唯一の日曜日である今日は、大賑わいだった。

 まもなく、一段と賑わっているところが目についたので近づくと、予想に反せず幼稚園児が集まっていた。珍しい熱帯産の色鮮やかな野鳥は、檻から出されているのに、逃げることもなく、嘴を忙しそうに動かしながら、止まり木の上を行ったり来たりしている。その隣の子どもたちで賑やかなところが、キンシコウのコーナーだった。幼稚園児は飼育係の誘導で、直接猿に触れて喜んでいた。

 動物に触れる機会の少ない子供たちにとって、凶暴性の少ない動物との触れ合いコーナは、子供たちに人気があるだけでなく、大人の多くも珍しい体験がきっと子供たち成長の糧になると信じて疑わない。若い母親たちには、学校でニワトリや兎を飼育した経験はあるが、家庭では限られたペットしか飼育の経験は少ない。だからよけいに、こういうところでは、子供たちに思い切り遊ばせたいと思っている。

 飼育係に鎖で繋がれているとはいえ、愛嬌を振りまいているところは、人気者になる素質十分である。同じ猿でありながら、こうまで、異なるものであろうか。

 キンシコウはまるで、その鎖が眼中にないかのように屈託がなかった。

「瀬戸内海タイムズです。写真とらせてもらってよろしいですか」左腕の深緑の腕章を少し持ち上げて、飼育係りのほうに示した。

 飼育係は「ええ、いいですよ」と笑顔をつくるとすぐにまた、子供たちのほうへ目をやった。

 この動物園には、もう何回か取材に来ている。管理棟では名刺を出すが、園内ではそれぞれの飼育係とはこの程度の挨拶で済ます。今日の飼育係の男性は名川沙耶子にとっては、初めてだった。沙耶子よりは少し年上であろうか。作業着に、やはり同じ灰色の帽子を被っているので、少し若く見えているのだと沙耶子は思った。

 動物園がこんなに賑わうのは、子供の日以来だということだ。

 名川沙耶子は、園児と猿の両方の表情をねらってシャッターを押した。猿の方は、愛嬌のある表情が溢れていたから、どのアングルからでも満足のいくものが撮れそうだった。しかし、同じフレームの中に、それにマッチした園児の表情を入れようと思うとタイミングが難しい。やっと入ったと思うと、逆光になって猿の毛が後光のように見えて、使いものにならなかった。

 

 それでも、今回の取材が楽しかったのは、子供たちが伸び伸びとしていたことによる。

 どうやら、こんなに子供たちが伸び伸びしているのにはもう一つの理由があった。リスザルである。リスかサルか?と、問われればやはりサルだと人は答えるに違いない。しかし、サルにしては小さい。特に頭部が異常に小さい。丸い頭部はまるで毬栗頭の幼児のように愛らしい。目は絶え間なく左右に動く。動きも敏捷だ。まるでリスのように木から木へ、枝から枝へと移り、ときに飛ぶ。いやこれはサルの動作だ。違う違う、どちらでもない。いや両方に似ている、というのが正直な感想か。

 隔週で掲載している教育特集が、悲観的な話題が多いので、気が滅入ってしまいがちだが、今日の子供たちを見ていると、そんなことも忘れて、晴れ晴れした気持ちになった。

 

 圓舎を出ると強い紫外線を浴びながら、帰路についた。アスファルトで舗装された道は、直射日光があたって輝いている。地面の上には暖められた空気が上昇して陽炎のようにゆらめいていた。

 名川沙耶子は、もっと詳しく取材すべきだったと思った。キンシコウが日本に3匹しかいないというのも、どこの動物園にいるのかも聞かなかった。そして、それがいつのことで、現在ほんとうに他の3頭が生きているのかも、確認していなかった。

 

 また、やっしまった。思い出すのは、鹿田のことである。鹿田から学んだ教訓を、忘れていたのだ。気をつけていても、ときどき忘れてしまう。名川沙耶子は鹿田のことを思い出した。

 名川沙耶子が、最初に社会部に配属されたときのデスクであった、鹿田多賀夫からは、取材の初歩から習った。

 取材してきた全てを記事にしたときだった。他にないのかと、鹿田は尋ねた。ええ、これがすべてです、と佐恵子が言うと、鹿田は不思議そうな顔をした。見る見るうちに怒りの表情に変わったが、言葉を発せぬままに、元の表情に戻ると、いいか、よく聞いておけ、と言って、懇々と語り始めた。書きたいことを念頭において取材することも確かに必要なことだが、当面書く当てのないことでも取材はしておかなければならない。記事にできるのは、せいぜいその十分の一ぐらいのつもりでおれ、というものだった。言われてみれば、ごもっともなことである。

 しかし、実行するとなるとなかなか大変である。ついつい、取材しながら記事の輪郭を頭の中で組み立ててしまう。そうすると、相手に尋ねることも明確になるし、取材の効率もよい。そうして記事ができたような気持ちになる。気持ちになるだけではない。帰ったときには、だいたいできている。

 足らないところは、後で電話すればいいか、と思いながらスロトッルを回した。ヘルメットの縁を打つ風が冷気を含んで心地よかった。crystalrabbit