鬼岩

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鬼岩    

 

 藁葺き屋根の家の前に路地がある。いつものように老婆が静かに歩いている。お岩ばあさんである。

「おばあちゃん、ごきげんいかがですか。」

 通りががりの人が優しく尋ねる。

「ああ、おかげさんで、元気、元気・・・・。」

「ほんに、おばあちゃんを見ていると、長生きの秘訣のひとつやふたつを聞いてみたくなりますよ。」

「ははは、秘訣などありゃあせん。好きなことをして、よう寝ることぐらいのもんじゃ。」

「また、ご謙遜を。」

 こう言って笑って二人はすれ違った。

 何歳になるのだろうか。もう、百才をとうに越えているはずである。なのになぜ、あんなに元気なのだろうか。秘訣を尋ねても、いつも笑ってはぐらかされる。

 村のものはみんな、おばあちゃん、おばあちゃんと呼んでいるので、名前を知っている人も少なくなった。若い頃は「お岩さん」とみんな呼んでいたと思う。そして名前に恥じず意志の強い人で、よく仕事をした。ときにその性格は裏目に出て、頑固一徹になって、仲間の眉をひそめさせたこともあったそうだ。

 しかし、今ではそのころの仲間でも生きているものはなく、若い頃のお岩さんの活躍を知っているものはいない。だから、このごろはお岩ばあさんと呼ぶものもなく、みんなおばあちゃん、おばあちゃんと呼んでいる。

 そのお岩ばあさんは百才を越えていているはずなのに、いたって元気である。お岩ばあさんの子供も八十才に手が届こうとしてしている年齢だというから、どちらが先にあの世からのお迎えがあってもおかしくはない、と多くの村の人たちは思っている。八十才近くになる息子の体力がとりたてて衰えているというのではないのに、一緒にいる老婆のほうが、生き生きとしていることは、誰の目にも明らかだった。とくに家の裏の山に山菜採りにいったりすると、もう老母の足の速いことは、村でも評判であった。ある人など、若い者もかなわないと笑っていた。

 聞くところによると、その老婆は百才になる前に、無くなっていた歯がすべて生え替わって、孫や曾孫と同じような健康的な歯になっていたということである。健康の秘訣は、どうやらこのあたりにあったらしい。

 体がいたって元気なものだから、百才を越えている今も、その老婆は、昼間は仕事をして家族の生計を助けた。たいていの日は、昼間は家にいて機織りや蚕の世話などをして、かいがいしく働いていた。そして夜になると、時々冷たい空気を吸ってくるといって出かけた。ふつうの人は、夜は月明かりをたよりに外出するのに、その老婆は月が出ていない闇夜でも、いつも提灯も持たずに出かけたから、歯だけでなく、目も衰えていないのだと、人々はうらやましがった。こういう元気な老婆であるから、この老婆にあやかりたいと言って、遠方から訪ねてくる人もあったほどである。そんなとき老婆は、機織りの手を休めて、上機嫌で相手をするのだった。

「おかげさんで足腰がなんとかなりますから、これこの年でも裏山へ薪を拾いに行くこともございます。」

 こういって老婆は立ち上がると、客の前をくるくる回って元気なところを示した。客もおおいに喜んで老婆の後ろをついて回って、楽しんだ。そうこうしているといつもよりもよく体が動くのである。

「気は心じゃけえ、歳のことは気にせず元気で歩き回るがいいでしょう。」

 こう言って老婆が笑うと、客もつられて笑った。

「誰もおらんかいのう」

 老婆はこう言って、家族のものを呼んだが、誰もいないと言うことが分かったので、今度は客のほうに向き直って、

「ところで、今日はどちらを通って帰りゃんさるんかのう」と尋ねた。

「通り谷を越えて帰ろう思うとります」

「通り谷ですか。あそこは寂しいところじゃ。陽が暮れんうちに帰るがええのう」

 老婆の親切に客はたいそう満足している。

「それじゃこのへんで」と客が立ち上がると、老婆は客を見た。

「それに最近、鬼が出るという噂もありますけー、気をつけなされ」

 こう言って老婆は口を横に大きく開けて笑った。

「おー、そりゃ怖い、怖い」こう言って客は帰途に着いた。

 おばあちゃんは外出するときは自分の部屋を覗くなといつも家族のものたちに行っていたから、その部屋に何があるのかは誰も知らない。

 

 備後の国、御調郡重井村の西の海岸に鬼岩はある。昔、近くの山に鬼がいたという話が、一部の人たちの間では伝わっていた。crystalrabbit

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