血の足跡

crystalrabbit

血の足跡

 

パリ 321

 やれやれ、こんな日に緊急の仕事とは、ついてないな。

 ドゴール国際空港検疫所とパスツール研究所からの連名の連絡を受けて、フランス外務省の当直事務官は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、マレーシア、そして日本の各国外務省にファックスを送信した。いつもなら、有能な事務官があっという間に済ませてしまう作業だが、日曜日なのですべて一人でやらなければならない。送信は選択ボタン一つでできるからいいとしても、ヘッダーをつけたりしていると結構時間を喰うものである。このようなファックスの多くは予防措置的なもので、注意を喚起するのを目的としたものである。だからといって仕事を疎かにするわけにはいかない。情報をできるだけ速く、そして正確に伝えることが自分の仕事なのであるから。

 

成田 3月21

 三月二十一日。月曜日。春分の日エールフランス631便は午後5時13分に成田空港に着いた。春霞は夜になっても一向に衰えなかった。サーチライトから光束が様々な角度にまっすぐに伸びていた。だからといって春霞による航空機の離着陸への影響はなかった。ジェット機で、薄暮の空港は溢れていた。フットライトに照らされた舞台のように、それらのジェト機はスポットライトで照らされていた。成田空港は予想どおり混雑していた。春休み前なのに小学生も多い。既に春休みに入っている大学生と思われる若者は、さらに多い。

 瀬戸五郎は、特別に申告するものが無かったので、入国ゲートは簡単に通過できた。荷物を受け取ると、とりあえず帰国をしたということを、自宅で待つ妻に電話で連絡した。そしてもう一人には、都内のホテルでもう一度電話するから、と言って待ち合わせの時刻は指示せずに電話を切った。リムジンバスにできるだけ早く乗りたかったからである。

 リムジンバスを八重洲口で降りると、タクシーでホテルに向かった。チェックインして自分の部屋から電話をかけた。

 ホテルに英子が着くと、ロビーから部屋に電話した。瀬戸五郎は、すぐに降りてきた。二人はホテルの玄関から、タクシーに乗り、歌舞伎町に行った。一軒目でもかなり飲んだ。次の店へ向かう途中で、三人組と出会ったとき、肩が触れた。悪いのは明らかに瀬戸五郎のほうだった。一人は、ボディブロー。二人目は瀬戸の額に拳を当てた。そのときの傷で出血した。それを撫でた三人目の男が、血のついた手を拭いながら、このへんで今日はこらえておこうぜ、と言って先へ急いだ。二人はすぐに従った。翌日三人組は名古屋に帰った。

 三人組を見送りながら、英子は五郎の額に手をやった。表面が半分固まった血は英子の指の上ではじけたが、傷口からはもう血は出てこなかった。

 そのとき、男は血の連想から、ロンドンからパリへ向かう飛行機で同乗した隣の男の目が異常に赤かったのを思い出した。

 今思い出しても、ぞっとする。しかし、旅のせいかもしれない。異国を旅する人間の気持ちは不思議なものである。今ここにいる自分とパリにいる自分を比較すると、それが同じ同一の人間であるとは、にわかに信じがたい。同じ自分でありながら、こうも違う者かと、自分でも不思議に思う。

 

 英子は瀬戸を見送ってから、寝台特急に乗った。

 翌日、志賀高原に着いた。ロッジで氷を割るとき、アイスピックが軽く触れ、血が出た。血の付いた氷を右手に持ち替えて、水道水で簡単に洗いコップに入れた。ステンレス製のシンクに水道の蛇口から水が細い流れを作って落ちた。底の空洞で反響した音が辺りに満ちたが、ストーブの中の、割れ木の燃える音に消されて、誰もその音を聞くことはできなかった。

 

 瀬戸五郎は翌日、羽田から高知行きの国内線に乗った。少し頬がほてっているようだ。風をひいたわけではない。新聞を読む。エイズワクチンの開発の記事が社会面に小さく掲載されている。

  そういえば空港のキオスクでホットゾーンのペーパーバックが最前列に展示してあったのを思い出した。これがひとつの空港だけではないのだ。パリでもロンドンでもしばしば目にした。そのときはそのタイトルが気にならなかった。今そのことを思い出した。日本でも話題になったことがある。あの本のことだったのだ。少しずつ思い出したぞ。

 そうだエボラだ。エボラに間違いない。輸入猿がエボラにかかったというノンフィクションだ。そのように記憶している。日本でも翻訳本がベストセラーになっていた。それがエボラに関する本だったということは、新聞広告などを見て知っていたことを、今思い出した。

 眠くはないのに、意識が遠ざかっていく。朦朧とした感じだ。旅の疲れだろうか。crystalrabbit

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