閑谷の影

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閑谷の影

 

 学問所を作ろうと云われた言葉ほど、津田永忠の血をたぎらせたものはなかった。今までに多くの工事をしてきたが、この話を聞いたときには、この仕事を完遂できたら、あとは余生だ、という気持ちになった。

 素晴らしいことではないか。藩内の有意の青年を集めて、新しい知識を学んでもらう。そして、やがて彼らが藩の指導者となる。

「学問所を作らねばならぬ」

 池田光政殿が、いつもよりも丁寧に口をひらいた。

「国のもとは人だからのう。人作りをせねば、末の世に憂いを残すことになろう」

 それを聞いて永忠は感に耐えたようにうなずいた。

「して、具体的には?」

 津田が聞いた。

「既に藩内には学問をやるところは数多(あまた)ある。しかし、そこで本当の学問が行なわれているであろうか。学問とは腰を据えてやるものよのう。根本から、腰を据えて学問をやれるところが作りたい。そのような場所を捜したい。そちに、一任したい。藩内のうち、そちが最適と思うところを捜しだし、それにともなう配置等考えてみよ」

 備前岡山藩の家老津田永忠が、藩主池田光政の命を受けたのは、寛文十年(一六七〇)早春のことだった。

 ときに永忠、三一才である。

 永忠には既に心積もりはあった。閑谷である。先年、池田家の菩提所として適地を光政から捜すように命じられたとき、気に入った土地である。しかし、永忠はすぐに返事はしなかった。しばらく考えて見る心算だった。光政の性格を考えての演技ではない。永忠という人がこういう人だったのである。結論に近いものは、早くから得ている。しかし、期限ぎりぎりまで、あらゆる条件を考慮して最良のものを求めるのだった。だから永忠の具申が期日に遅れるということはなかった。また、こういう性格だからこそ、光政に重くもちいられたともいえる。

 備前岡山藩には、この頃までに、既に十二三箇所の手習所があった。それでもまだ足りぬというのは、やはり人を育てることがゆくゆくは藩を育てるということになるという考えだけではなく、殿の学問好きな性格にもよる、と永忠は思っている。そんな殿が永忠自身嫌いではなかった。

 以前は、政事のことに関しては永忠は意見を求められることは滅多になかったが、最近そんなことがちょくちょくある。しかし、永忠はそれに明確な返答をすることを控えた。やはり、自分には政事をするのは向いていない。自分に最も向いているのは、信頼できる殿のもとで、事業の推進に従事することだと思っている。

 思い出されるのは、ある秋のよく晴れた日のことだった。

 藩主池田の殿が津田永忠を従えて、東山、曹源寺に行った。

 庭に広がる池は緑の水に覆われていた。時折、鯉が水面近く来て、鮮やかな緋色を衆人の目にさらしては、忙しく泳ぎ去った。

 池の向こうには苔蒸した庭が松林に続くあたりから勾配をなしていた。

「津田、国を治めるというのは、大変なことよのう。百姓から年貢を取り立てるだけが、仕事のようじゃが、それは今だけのことでのう。十年後、二十年後、いや百年後のことを考えてみるとよい。

 確かに、去年と今年は、変わることはない。十年一日の如く、季節の移ろいとともに、過ごしてきた。しかし、この十年を見ればわかろう。人も、藩も少しずつではあるが、変わって行っているぞ。この変化から目をそらせてはならぬ。この変化を、じっと眺めて見ることじゃ。目を大きく開けてな。目を十倍も二十倍も大きく開けて見ることじゃ。」

 永忠には,殿の指す彼方の世界を見ることはできないが,今その志のいくらかは担っていけると思われた。

 この殿のもとではやっていける。それにふさわしいものをつくろう。そして、おそらくは自分の最後の仕事となるであろう、と永忠は思った。crystalrabbit

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