タングステン号の出航

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タングステン号の出航 

 

「それでも、なんとか出航できた」

 沙耶香が、目を細めて言った。

 海の上は紫外線が強い。目を射るような太陽光線を厭うかのように、さらに目を細める。海上で反射された光も、ちらちらとまばゆい。

「でも、これからのほうが大変だ」

 武志はほんとうに自信なさそうだった。

「もとより、覚悟の上よ」

 沙耶香の目が一瞬大きく開かれた。多くの反対の中で、最終のぎりぎりの選択だったとはいえ、沙耶香の積極的な発言がなかったら、この航海は実現していなかったかもしれない。だから、ここで武志のようなことを言っていたら士気にもかかわる。虚勢でもいいから、元気なところを見せていてほしいと思うのは、みんな同じだ。

 タングステン号は小さなヨットである。さきほど出航したばかりであるが、その行く手に待っている困難を思うと、最年長の沙耶香も、胸が凍る思いがした。

 もしこの航海が失敗したら……と考えることは、できることなら避けたかった。

 モリブンデン諸島から光る石を持って帰らないといけない。ただ、そのことだけを考えることだ。あとは、その場その場で、みんなで力を合わせて乗り切ればよい。そのように、沙耶香は考えた。

 海洋も、大気も汚染され、もはや、地球上には人も住めないと言われている。それでも、ぼくたちには他に行くところがないのだ。かつては、月や水星にヒトが住めると思っていたことがある。しかし、その計画も、地球上の化石燃料が枯渇したときにすべて水泡に帰していたのだ。

 二千二十年代に入ると、完全に化石燃料は枯渇し、人類は新たなる一歩を踏みださざるを得なかった。しかし、新しい一歩といっても大気も海洋も汚染され、地球上での人類の生存そのものが危ぶまれていた。

 どこでどう間違えたのだろうか。石油を中心にして出来上がった文明は、二十世紀後半以降、有史以来経験したことのない速さで退化を始めた。それとともに、人類が長い間にわたって蓄積してきた、自給自足を基本にした生活方法が急速に失われ始めた。

 代替エネルギーは、いつかは石油がなくなるという予想のもとにいくらかは開発された。しかし、その効率において化石燃料にまさるものはなかった。あらゆる代替エネルギーの製造方法の根幹にかかわるところで、膨大な量の化石燃料の恩恵を受ていたのだ。

 そして、汚い地球のまま科学技術文明はあっというまに衰退し、地球は大きな廃墟となった。化石燃料に頼らなくていい方法・・・・として、古くから信じられていたのが、光る石の伝説である。それは、モリブデン諸島にあるという。

 モリブデン諸島にたどり着けば、きっと光る石が手に入るだろうと、みんなが思っていた。

 現在のような生活から人々を救うためには、まず大気を清浄にすることが大切だった。その光る石を用いると、汚れた大気から酸素を放出することができる。そのように、もう何年も信じられてきた。

 この大気はどうにもならないものだろうかと誰もが考える。しかし、行動するものがいない。古来、この大気を清浄にする方法がいろいろと考えられて、断片的であるが、伝わってきた。

 そのひとつが、モリブデン諸島にある光る石の話である。

 その石を使うと大気中の二酸化炭素が酸素と炭素に分解されるという。それに多くの不要物も分解する作用をもつと言われている。

 もし、その光る石が日本にあれば、この日本国土を覆う、腐った大気を和らげることができるだろう。光る石を持ち帰る。それが、今回の航海の目標だった。

 そのような思いで、出航した航海だった。

 

 しかし、・・・・何ということだ。飲料水が減っていると言うのだ。このままでは、我々の生存そのものが危うくなる。

 

 どれくらい航海したのだろうか。彼方に島影が見えた。とりあえずそこを目指そう。近づくに連れ、そこはいくつかの小さな島が肩を寄り添っているように、寄り集まっていた。

 最初に見えた島は緑の木々におおわれていた。東京ではもうこんな緑は見られないから、ここにはまだ澄んだ空気があるに違いない。それにきっと豊かな水もあるだろう。

「どうだろう、ここで上陸して水を可能な限り補給しておくというのは」

 武志が言った。

「意義なし」

 全員の声がすがすがしく青空の中へ吸い込まれていった。このような生き生きとした声を聞くのは何日ぶりだろうか。 

「ちょっと待った」

 明男である。

「反対するのも気がひけるが、こんなところで道草をくうのはどうかと思う。ぼく達の使命はモリブデン諸島に行くことだよ」

「もちろん、そのことを忘れているわけではないよ。しかし、ここで水を補給しておくのがいいと判断する」

 武志の言葉を受けて、最終的な決断は沙耶香が行った。

 緑の島に上陸してみると思っていた以上に、深い森でおおわれていた。

 

 確かに、石油の枯渇については早くから指摘されていた。しかし、その予想はものの見事に外れた。

 その理由は何だろうか。経済学者たちは、予想以上の経済活動の進展が、エネルギーの消費を当初のもくろみよりはるかに推し進めたからだと、説明した。いや弁解したと言い換えたほうが適切であろう。なぜならば、エネルギーや環境問題の解決に向けては、ただ科学者だけではなく、経済学者をはじめとして、各界の有識者の意見が広く飛び交っていた。なかでも、経済学者の意見は尊重された。経済学者の推計した値を用いて残存石油を計算していた。しかし、この予想は見事に外れたのだ。

 それはなぜかと言えば、たしかに、経済学者の推測は実に精緻を極めており、予測の根拠を疑わせるものは比較的少なかった。だから、それを批判する人が多くなかった。そのため、そのモデルは修正されることなく、何回も利用された。

 石油経済学という分野が一躍脚光を浴びるようになったのは、その究極の目標であった石油枯渇の日が人類にとって決定的な日になると誰もが考えたからである。石油経済学者たちは、こぞってその枯渇の日を算定する根拠式と経時的に行われる修正の根拠を明らかにすることによって、自分たちの陣営の算定の優位性を示そうと努めた。

 いつのまにか、人々はその石油枯渇の日をXデーと呼ぶようになった。というのは、その石油枯渇の日をもって現在の石油エネルギー文明が壊滅的打撃を受けると考える悲観論者だけでなく、逆にその日からまったく新しい人類の文明が始まるのだと称賛する人たちが次第に増えたからである。その人たちは石油枯渇の日をXデーと名づけ、歴史年代の呼び方そのものを変更すべきだという意見もあった。すなわち、ちょうどイエス=キリストが生まれたときから、新しい西暦紀元が始まったように、Xデーからまた新しい年が始まるのである。      

 良薬は口に苦し、と言われるが、人々は必ずしも良薬ばかりを飲用するものではない。夢の中で飲む薬はできるだけ甘いほうがよいと、だれしも思うであろう。しだいにメイディアに取り上げられる論調は楽観論のほうに傾いたいったのも、それは多くの市民の好みに流されたからであった。

 脱石油の新しい時代を生きぬくさまざまな様式が、あたかもお伽話でも語るかのように流布された。

 原子力発電所は予想外に安全だった。徹底的な危機管理と、電子制御工学の飛躍的な進歩によって、現在の原子力発電所の事故は九九点九九九九九パーセントまで予知ならびに防止できるとというシミュレーションの結果が出ているし、何よりもそのことは過去の運転実績が示していた。しかし、問題は事故の可能性ではなく運転実績の当然の結果として生じることがほどなく明らかになった。いやこれも多くの市民運動家たちによって指摘されていたことだが、予想外に深刻であることがほどなくわかった。すなわち、安全性の向上とともに世界中に広がった放射性廃棄物原子力発電所の跡地の増大が人類の生存を脅かしはじめたのだ。

 

 最初の日はみんな不安だった。できるものなら引き返したかった。こんな成功する可能性のないことを、したくはなかった。

 でも、このまま人類の滅亡を静観するのか、と自らに問うと、やはり行動に出るしか道はなかったように思う。

 南の海に浮かぶというモリブデン諸島にあるまぼろしの石に最後の望みをかけるしかないではないか。

 なんという島だろうか。日本ではあんなに空気が汚れて、多くの人がただ喉をぜいぜいと鳴らしながら息だえているというのに、この島にはまだ相当の緑が残っていたし、さわやかな空気が流れていた。森のほうから聞こえるざわめきに似た音は、きっとまだ鳥たちが棲んでいるのに違いなかった。crystalrabbit