沼隈町

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沼隈町

 

 町村合併促進法が昭和二十七年十月一日に施行されたとき、広島県福山市の南西部にある沼隈郡については、二十一町村を六か町村にしようという合併構想が、広島県福山地方事務所より出された。

 この案を、昭和三十一年三月三十一日までに、三期に分けて実現するというのが広島県が示した目標だった。

 昭和二十九年十一月三日を目標に定められた第一期の合併構想では、千年村、山南村、熊野村、浦崎村が合併して、人口二万二千百七十九人、面積五十六.一一平方キロメートルの町が沼隈郡の南部に誕生する予定であった。しかし、浦崎村は尾道市への合併を希望し、また福山市に近い熊野村では福山市との合併を考え、広島県側が示した合併構想に同調しなかった。

 残った千年村と山南村は、当初から県の構想を支持しており、結局、両村が合併して昭和三十年三月三十一日、広島県沼隈郡沼隈町が誕生した。人口一万千八十六人、面積三十.九三平方キロメートルである。

 

 新しい町が誕生すると、まもなく町長選挙が行われ、初代沼隈町長に町でも屈指の資産家の息子、神原秀夫氏が町長になった。神原という名を聞けば、誰でもが「神原汽船」の名を思い出す。それほど、この名は町でも有名だった。その神原汽船の御曹司が新しい町の新しい町長として選ばれた。

 

 

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