突発

crystalrabbit

突発     420日                  

 

 窓を開けなくても暑くもなく、また寒くもない時候になった。桜の花こそ散って、緑の葉が豊かに樹木を覆っているが、スイトピー、桜草が、煌びやかに日の光を反射している。

 木口一枝は、今の季節が最も好きだった。なぜなら、自然の色彩と園児たちの表情が完全にマッチしているからである。園長になって三年目の春である。そろそろ自分なりのカラーを出してみたいと思っている。もちろん、二年間に何もしなかった訳ではない。節電によって浮いた経費を草花に費やして、一年中何かの花が咲いているようにしたのも、その一つである。また、先生方の仕事を減らすために、文書を減らした。しかし、このようなことではなくて、教育観ともいうべきものを、もっと全面に出してみたいと、昨年の秋ぐらいから考えていた。

「みんなで七人ですね。今の季節では、多いようね」

 さくら組担任の、川口佐恵が、欠席した園児の名前を記入し終わるのを待って口を開いたのは、園長の木口一枝である。

「昨日が3人ですし、何か流行っているのかも知れません」と、言って川口佐恵は慌ただしく、園児室のほうへと帰っていった。「はい、ご苦労さま」と、見送って園長席に戻ったが、少し気になった。慌ただしく出ていくのは、いつものことであったので、驚くにあたらないが、欠席者の数については、気になる。かといって、教育委員会に連絡するほどのことはない。

 去年の園務日誌を取り出した。スチールの園長机の後ろに並んだ黒い紐で綴じた書類の中から、最も新しい一冊を取り上げた。この頃は休みはそんなに多くない。「零、一、零、零、一・・」と同じ週の欠席者を、月曜日から数えた。

やはり、今年は多すぎる。念のため一昨年のも開いた。さらに前後二週間についても調べた。

 昨日三人休んだ。今日は七人休んでいる。

 冬場の風邪のシーズンならともかく、このようなことは珍しい。もっとも、麻疹などのような病気が流行すれば、園児が一度に休むこともないではないが・・・

 教育委員会から届く流行注意報なども特別なものは来ていない。これも念のため綴じてある書類を当たってみた。一月にインフルエンザについての流行注意,二月に麻疹の流行についてのものがあるだけだった。

 

 昼前になって三人が嘔吐した。

 

 園医の島本に電話した。三人が嘔吐した。

「今朝から保育園で何か食べさせたものはありませんか?」

「ええ,そういうのは一切ありませんわ」

「そうですか,それで様態のおかしいのは、園児三名だけですね」

「現在いる園児では、3人だけだが、他に7人が休んでいる。いつもより多い。」

「・・・帰らせたほうがいい。それも、個別に」

 感染症の流行の可能性があるので、園児を帰したほうがいい。それもできるだけ別々で。

すぐに、行く。

 園医に電話がかかった。園長から、電話がかかったとき、ちょうど外来はとぎれていたので、すぐに行くことにした。道々、考えた。もし、子供たちが園で何も食べずに、同時に3人も嘔吐したのなら、同じような病気に感染した可能性がある。

 

  園児はすぐに、入院した。入院か、通院かという迷いも何もあったものではない。医師の目の前で、見る見るうちに衰弱してゆく。こんなことは、初めてだ。小児科医として数年勤めてきたが、このような病気は診たことがない。患者対医師の場合は、患者を前にして弱音を吐くことは、自己の方針として極力避けてきた。もちろん、明らかに他の科に変わるべきときは、積極的に勧めてきたが、このような場合には明確な方針があった。しかし、今回の場合はどうだろうか。正直言って、手遅れに違いはない。でも、・・・診断すらつかないのだ。crystalrabbit