残照

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残照

 

 建久九年(一一九八)十二月二十七日のことである。頼朝は御家人の稲毛重成の橋供養にでかけた。稲毛が亡き妻元子の供養にと相模川に橋を作ったのである。

 元子は時政の六女で、相模の豪族稲毛氏に嫁いでいたのだが、数年前風邪をこじらせて亡くなった。頼朝は妻の妹の供養ということで、時政らとともに追善供養に参加した。

 読経が終わるといつものように、酒宴になった。その日の頼朝はいつになく上機嫌で普段より酒がすすんだ。

 頼朝は夕べの酒宴が終わらないうちに帰館を伴の者へ命じた。別に、稲毛の家臣に不手際や失礼があったわけではない。

 いつもより早い頼朝の帰館に、今日の招待主の稲毛重成も不安げに見送った。何か不興をかったのではなかろうか、と。

 このとき、頼朝はいつもより早い帰館の理由については、誰にもいわなかったが、頼朝自身の胸には「やや、疲れた」というほどの、軽い気持ちがあった。

 酒のせいか、席をたつとき、頼朝の足が少しふらついた。滅多に、酔うことのない頼朝だから、珍しいといえば珍しかった。ちょうど傍らにいた時政が支えた。

 そのまま馬のところまで、時政が従った。馬に乗ってからも、頼朝は時政を近くに来させた。頼朝は、来年早々ににも上京することや、京での計画について大声で話した。

 頼朝のいつにない上機嫌に、時政もすっかり謀反の心を忘れて、冬枯れた相模の景色をもの珍しそうに眺めた。

 一行が相模川の堤防に近づいたとき、時政は前を行く兵馬の列が、皆同じように異様な行動をとっているのに気がついた。

 土手を上がったところで道は大きく左に曲がる。曲がるとすぐに、竹の林に遮られて後ろから見えなくなる。その見えなくなる手前で、すなわち土手に上がった直後に、どの馬上の兵も顔を背けるか、手をかざして眼を覆うような仕草をしているのだ。

 ほどなく時政はそのわけがわかった。

 やや西に傾いた陽が水面に銀色に反射して、鋭く両人の眼を射た。

 頼朝殿と時政が土手を上がったところで、二人とも同じ行為を取らざるをえなかった。

 あまりのまばゆさに眼を背けるとともに、手で遮ろうとして右手をかざしたとき、時政の心の中の虫が大きく飛翔した。

 時政はすぐ後ろに従ってくる二頭が、土手の上に上がって来るまでの間を咄差に測った。

 その二頭が土手に上がった瞬間に、時政は出せるだけの大声で叫んだ。

 「頼朝殿!どうなさったー」

 叫ぶと同時に時政は頼朝におどりかかり、後頭部を欧打した。

 二人が落馬したときには、頼朝はすでにこと切れていた。時政は間髪をおかず力いっぱい叫んだ。

 「頼朝殿が落馬された!」

 ほどなく時政は、頼朝危篤の知らせを鎌倉の館に向かって走らせた。

 川面は、冬の弱い陽を反射して、いつまでも残照のように輝いていた。

 

 明くる建久十年の正月十三日、北条時政は頼朝の死を発表した。crystalrabbit