パラグアイの太陽   せとうち抄

パラグアイの太陽 良太が自転車で通りかかった。 「どこへ行くん? この暑いのに」 「暑いから、海へ行くんじゃが」 「うちも行く。待ってー」 「先に行っとくよ。あとで来いよ」 良太は自転車のペダルを思い切って踏んで、遠ざかった。 「意地悪!」 佐和は…

空の音

パトーリ

crystalrabbit パトーリ リカを乗せた飛行機は霧の中をドゴール空港へ着いた。 ドゴール空港で国内線に乗り換えた。「リカ、さあ、ここがパリだよ。ここでおりて、もう一度別の飛行機に乗るんだ」 パトーリは自分の言っていることが、相手に通じているとは思…

救助

crystalrabbit 救助 海岸には嵐が運んだ漂流物が乱雑に堆積していた。 「ひどい嵐だったんだ。こんなにたくさん流れてくることはめずらしい」 男が言った。これから漁に出るところである。 「ずっと遠くで嵐があったのだわ。それにしても……。ねえ、あれ」 男…

難破

crystalrabbit 難破 着水した救命ボートには乗員が二名ずつ乗っており、両側で懸命にオールを漕いだ。 「とにかく、できるだけ離れるんだ」 乗員の一人が言った。 「ベルサイユが沈んだとき近くにいたら、渦に飲み込まれてしまう」 もう一人の乗員が言った。…

crystalrabbit 嵐 船上から見る夕日は美しかった。はるか西の水平線に沈む夕日はいつもより小さく見えるが、あたりを真っ赤に染めて静かに沈んでいく。昼間はあんなに青かった海も色を失って小波にゆれている。しかし、西の海だけは赤く燃えていた。水平線に…

突発

crystalrabbit 突発 4月20日 窓を開けなくても暑くもなく、また寒くもない時候になった。桜の花こそ散って、緑の葉が豊かに樹木を覆っているが、スイトピー、桜草が、煌びやかに日の光を反射している。 木口一枝は、今の季節が最も好きだった。なぜなら、自…

真珠貝の唄

crystalrabbit 真珠貝の唄 海が呼んでいる。いつもそう思う。これは自分だけではない。他のダイバーも同じように、思っているようだ。だから、どんな危険な目にあうかわからないのに、毎朝、あんなに陽気に出かけて行く。毎朝、海が呼んでいるからである。亜…

亡霊のくる夜

crystalrabbit 亡霊のくる夜 -少年少女恐怖館ノ内- こちらをご覧下さい。 crystalrabbit

たそがれのときに

crystalrabbit たそがれのときに 相見時難別亦難 東風無力百花残 李商隠「無題」より 結婚して三ヶ月が経っていた。 以前の住所に電話してみた。お母様が出られた。その声には彼と同じ色彩があった。ほんとうの母息子だと思われた。彼と話しているような懐か…

二十歳のレクイエム

crystalrabbit 二十歳のレクイエム 二人は島の高校の同級生だった。龍生は卒業後一浪してから岡山の大学に入学した。尾道の大学に通っていた楓は、尾道で二年目の春を迎えていた。 四月の半ばだった。龍生からの手紙が実家から転送されてきた。手紙が来てい…

奈良原村

crystalrabbit 奈良原村 今日は奈良原村のお祭りである。村も小さければ、神社も小さい。石段の両側には花崗岩でできた狗が天を睨んでいる。十二段登ると少し幅が広くなり、再び石段が始まる。その石段が始まる両側の欄干には、別の狗の像がやはり天を睨んで…

沼隈町

crystalrabbit 沼隈町 町村合併促進法が昭和二十七年十月一日に施行されたとき、広島県福山市の南西部にある沼隈郡については、二十一町村を六か町村にしようという合併構想が、広島県福山地方事務所より出された。 この案を、昭和三十一年三月三十一日まで…

めかり瀬戸

crystalrabbit めかり瀬戸 午後の日を浴びた白亜の灯台はあの時のままだった。胸の高さほどの塀越しにウバメガシが生い茂っている。塀の下の崖の向こうに早春の青い海が広がっていた。眼を海面に転じると、幾重にも分かれた海水が縞模様を作って速い速度で流…

狐の嫁入り

crystalrabbit 狐の嫁入り 校長先生に聞いてみたら、と言ったのは彩子である。 「校長先生といっても、今はもう退職されていて、郷土史を研究しているとか、聞いたわ」 さっそく、潤也は彩子とともに訪ねた。二年前に島にある唯一の小学校である伊沼島小学校…

アルバイト学生

crystalrabbit アルバイト学生 大学の近所に全国チェーンの古書店ができたのは,二年ほど前のことだった。市の中心部の店には時々行っていたが,近くの店舗に行く強い理由がなかったので,気にはなっていたが,今まで一度も足を運んだことはなかった。近いか…

銀色の網

crystalrabbit 銀色の網 「あら、園田君でしょう?」 お互いの目があった。園田武弘も、すぐに思い出した。大学時代の同級生だ。 「多岐元さんだった、かな?」 「そうよ、多岐元です。今は山野だけどね。この辺に住んでるの? 不思議ね。ちょっと待って。レ…

再会

crystalrabbit 再会 河辺が大学に入ったとき由里子は大学三年だった。由里子は高校の時の文芸部の先輩だった。小さな県立高校に入学して一週間後にあったクラブ紹介のとき、ふと立ち止まった河辺に声をかけたのが由里子だった。 河辺は中学校二年の頃から詩…

地蔵人形

crystalrabbit 地蔵人形 母の葬儀が滞り無く終わり、お棺に花が手向けられる前だった。父が喪服のポケットから小さな地蔵人形を出して、母の手に握らせた。布でできたお地蔵さんだった。父は手をいったん引っ込めたがその後思い直したのか、再度母の手のとこ…

解散

crystalrabbit 解散 二学期の期末試験が始まった。朝、いつものように坂を上って、一息ついたとき人だかりがしていた。模造紙に書かれた文章。一目で生徒の文字だとわかる。 試験をボイコットしようと書いてある。その理由について、何人かの教師の悪口やら…

雪猫

crystalrabbit 雪猫 山にはまだ雪が残っていた。弱いかげろうのような力のないお日さまが、窓ガラスから射し込んでいた。 その日、一匹の白い猫が、灰色のペンキの剥げかかったブロック塀にピョンと飛びあがった。そして塀の内側の庭を充分に観察もしないで…

マリア昇天

crystalrabbit マリア昇天 夕凪亭主人の北田才太郎は、55才の時勤めていた会社を辞め、瀬戸内海の山荘で半農半漁の悠々自適の生活を送っている。その山荘を夕凪亭という。山荘といっても、特別のものではなかった。海の見える山懐にある、いわば隠れ家だっ…

雪わたり

crystalrabbit 雪わたり ひゅう ひゅう ひゅるるん ひゅう ひゅう ひゅ ひゅう ひゅう ひゅるるん ひゅう ひゅう ひゅ 日本海から吹きよせる風が、木立にあたって笑っているような朝だった。 揺れているのはだあれ。 顔を上げたわたしに 白銀の世界がまたた…

塩の道

crystalrabbit 塩の道 市は川沿いにあった。市の近くに桟橋が設けられている。そこは浚渫され,たいていの船が積み荷一杯でやってきてもいいようになっている。今,目のまえでの川を船が昇って来る。荷物を満載した船だ。やがて停泊した。人夫が降りる。人夫…

柿沼

crystalrabbit 柿沼 この古代史学者-というのは、あまり正確ではないが、さしあたってこのように呼んでおくことにしよう-は、いかにも年代ものといった古風な、小さな家の大半を自分の書斎として使っていた。その書斎は、一段低くなった床が松の板の間にな…

まこ

crystalrabbit まこ 鎌倉の由比が浜海岸がから北へ少し入ったところの高台に、さして立派でもないが小さなお堂があった。流円坊というひとりの修業僧がこのお堂に住んでいた。修業僧とはいうものの、この世のことがつくづく厭になったので、ここで独り暮らし…

水戸烈士ノ墓ニ詣ズ

crystalrabbit 水戸烈士ノ墓ニ詣ズ -江木鰐水日記抄- 明治元年九月 大政を奉還して幕府は瓦解するもなお、一部の吏員党を組みて、反抗する。福山藩阿部候はもと徳川幕藩体制下においては親藩なりて、代々幕閣人士を出す家柄なり。御一新このかた、福山藩、…

人面瘡

crystalrabbit 人面瘡 -少年少女恐怖館ノ内- もう一月くらい前の話だが、人面犬というのが流行ったことがある。人の顔そっくりな犬がいるという話である。 「ねえねえ、由香。人面犬って、聞いたことある?」 真美が階段を追いかけてきて、言った。 「ジン…

エウデモス

crystalrabbit エウデモス エウデモスはキプロスに生まれた。商用でマケドニアに行くことになった。しかし、途中、テッサリアのペラにきたとき、その街を占拠していたアレキサンドロス配下の兵に捕らえられた。 理由はわかななかったが、何日も、街から出し…

藤戸

crystalrabbit 藤戸 勝ち戦の続いている源氏と違って、平家の武者にとっては、いずれどこかで、挽回の機会はあるものと思うが、所詮逐われるものの身に変わりはなかった。 屋島から、備前の児島に陣を進めたとは言え、勝算の見込みがあるわけではなかった。 …