2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

二十歳のレクイエム

crystalrabbit 二十歳のレクイエム 二人は島の高校の同級生だった。龍生は卒業後一浪してから岡山の大学に入学した。尾道の大学に通っていた楓は、尾道で二年目の春を迎えていた。 四月の半ばだった。龍生からの手紙が実家から転送されてきた。手紙が来てい…

奈良原村

crystalrabbit 奈良原村 今日は奈良原村のお祭りである。村も小さければ、神社も小さい。石段の両側には花崗岩でできた狗が天を睨んでいる。十二段登ると少し幅が広くなり、再び石段が始まる。その石段が始まる両側の欄干には、別の狗の像がやはり天を睨んで…

沼隈町

crystalrabbit 沼隈町 町村合併促進法が昭和二十七年十月一日に施行されたとき、広島県福山市の南西部にある沼隈郡については、二十一町村を六か町村にしようという合併構想が、広島県福山地方事務所より出された。 この案を、昭和三十一年三月三十一日まで…

めかり瀬戸

crystalrabbit めかり瀬戸 午後の日を浴びた白亜の灯台はあの時のままだった。胸の高さほどの塀越しにウバメガシが生い茂っている。塀の下の崖の向こうに早春の青い海が広がっていた。眼を海面に転じると、幾重にも分かれた海水が縞模様を作って速い速度で流…

狐の嫁入り

crystalrabbit 狐の嫁入り 校長先生に聞いてみたら、と言ったのは彩子である。 「校長先生といっても、今はもう退職されていて、郷土史を研究しているとか、聞いたわ」 さっそく、潤也は彩子とともに訪ねた。二年前に島にある唯一の小学校である伊沼島小学校…

アルバイト学生

crystalrabbit アルバイト学生 大学の近所に全国チェーンの古書店ができたのは,二年ほど前のことだった。市の中心部の店には時々行っていたが,近くの店舗に行く強い理由がなかったので,気にはなっていたが,今まで一度も足を運んだことはなかった。近いか…

銀色の網

crystalrabbit 銀色の網 「あら、園田君でしょう?」 お互いの目があった。園田武弘も、すぐに思い出した。大学時代の同級生だ。 「多岐元さんだった、かな?」 「そうよ、多岐元です。今は山野だけどね。この辺に住んでるの? 不思議ね。ちょっと待って。レ…

再会

crystalrabbit 再会 河辺が大学に入ったとき由里子は大学三年だった。由里子は高校の時の文芸部の先輩だった。小さな県立高校に入学して一週間後にあったクラブ紹介のとき、ふと立ち止まった河辺に声をかけたのが由里子だった。 河辺は中学校二年の頃から詩…

地蔵人形

crystalrabbit 地蔵人形 母の葬儀が滞り無く終わり、お棺に花が手向けられる前だった。父が喪服のポケットから小さな地蔵人形を出して、母の手に握らせた。布でできたお地蔵さんだった。父は手をいったん引っ込めたがその後思い直したのか、再度母の手のとこ…

解散

crystalrabbit 解散 二学期の期末試験が始まった。朝、いつものように坂を上って、一息ついたとき人だかりがしていた。模造紙に書かれた文章。一目で生徒の文字だとわかる。 試験をボイコットしようと書いてある。その理由について、何人かの教師の悪口やら…

雪猫

crystalrabbit 雪猫 山にはまだ雪が残っていた。弱いかげろうのような力のないお日さまが、窓ガラスから射し込んでいた。 その日、一匹の白い猫が、灰色のペンキの剥げかかったブロック塀にピョンと飛びあがった。そして塀の内側の庭を充分に観察もしないで…

マリア昇天

crystalrabbit マリア昇天 夕凪亭主人の北田才太郎は、55才の時勤めていた会社を辞め、瀬戸内海の山荘で半農半漁の悠々自適の生活を送っている。その山荘を夕凪亭という。山荘といっても、特別のものではなかった。海の見える山懐にある、いわば隠れ家だっ…

雪わたり

crystalrabbit 雪わたり ひゅう ひゅう ひゅるるん ひゅう ひゅう ひゅ ひゅう ひゅう ひゅるるん ひゅう ひゅう ひゅ 日本海から吹きよせる風が、木立にあたって笑っているような朝だった。 揺れているのはだあれ。 顔を上げたわたしに 白銀の世界がまたた…

塩の道

crystalrabbit 塩の道 市は川沿いにあった。市の近くに桟橋が設けられている。そこは浚渫され,たいていの船が積み荷一杯でやってきてもいいようになっている。今,目のまえでの川を船が昇って来る。荷物を満載した船だ。やがて停泊した。人夫が降りる。人夫…

柿沼

crystalrabbit 柿沼 この古代史学者-というのは、あまり正確ではないが、さしあたってこのように呼んでおくことにしよう-は、いかにも年代ものといった古風な、小さな家の大半を自分の書斎として使っていた。その書斎は、一段低くなった床が松の板の間にな…

まこ

crystalrabbit まこ 鎌倉の由比が浜海岸がから北へ少し入ったところの高台に、さして立派でもないが小さなお堂があった。流円坊というひとりの修業僧がこのお堂に住んでいた。修業僧とはいうものの、この世のことがつくづく厭になったので、ここで独り暮らし…

水戸烈士ノ墓ニ詣ズ

crystalrabbit 水戸烈士ノ墓ニ詣ズ -江木鰐水日記抄- 明治元年九月 大政を奉還して幕府は瓦解するもなお、一部の吏員党を組みて、反抗する。福山藩阿部候はもと徳川幕藩体制下においては親藩なりて、代々幕閣人士を出す家柄なり。御一新このかた、福山藩、…

人面瘡

crystalrabbit 人面瘡 -少年少女恐怖館ノ内- もう一月くらい前の話だが、人面犬というのが流行ったことがある。人の顔そっくりな犬がいるという話である。 「ねえねえ、由香。人面犬って、聞いたことある?」 真美が階段を追いかけてきて、言った。 「ジン…

エウデモス

crystalrabbit エウデモス エウデモスはキプロスに生まれた。商用でマケドニアに行くことになった。しかし、途中、テッサリアのペラにきたとき、その街を占拠していたアレキサンドロス配下の兵に捕らえられた。 理由はわかななかったが、何日も、街から出し…

藤戸

crystalrabbit 藤戸 勝ち戦の続いている源氏と違って、平家の武者にとっては、いずれどこかで、挽回の機会はあるものと思うが、所詮逐われるものの身に変わりはなかった。 屋島から、備前の児島に陣を進めたとは言え、勝算の見込みがあるわけではなかった。 …

道元

crystalrabbit 道元 父や母のことを考えると頭がおかしくなってしまう。しかし、二人がいて自分が存在するのだから、否定のしようがないではないか。 世間の人たちは父のことや母のことをよくは語らない。これらの話には多少の誇張があるにせよ、古より火の…

売血連盟

crystalrabbit 売血連盟 日が暮れると、決まって黒い自動車がやってきた。 男は静かに車から降りる。その男の背後には何があるのか知らぬが,深い深い闇があるように思われた。そのせいかその男が乗ってきた車は,どこにもないほど黒い色で塗られているよう…

赤えんぴつ

crystalrabbit 赤えんぴつ 算数のテストがあった。二けたの足し算だ。25足す17。36足す23。繰り上がりもある。繰り上がりのないものもある。でも、どれも100を越えることはない。……このような問題が20個ある。筆算だ。まず1の位からやる。そし…

ペリアンドロスの息子

crystalrabbit ペリアンドロスの息子 ―ギリシア小説集ノ内― 昔、ギリシアのコリントスという小さな国を治めていた男にペリアンドロス王がいた。 ふとしたことから、ペリアンドロス王は王妃メリッサを殺してしまった。ペリアンドロス王は、当時の小国の王とし…

たたり

crystalrabbit たたり 一夜明けたが、蜂の巣をつついたような騒動は収まりそうになかった。昨夜遅く、憔悴しきった瑚宝権坪が翔坪の亡骸を伴って帰宅した。今は恭子と並べて母屋に安置されている。 朝から親戚の者や近所の者がひっきりなしに弔問に訪れた。…

レストランうたせ船

crystalrabbit レストランうたせ船 「そこのレストランに入って」 「うたせ船だね」 小山から続いて下降してきた緑の尾根は、道路に面した断崖で切れ、その道路の海側にレストランがある。朝、田島屋ホテルを出てまもなく目に入ったので、よく覚えている。敷…

タングステン号の出航

crystalrabbit タングステン号の出航 「それでも、なんとか出航できた」 沙耶香が、目を細めて言った。 海の上は紫外線が強い。目を射るような太陽光線を厭うかのように、さらに目を細める。海上で反射された光も、ちらちらとまばゆい。 「でも、これからの…

西屋

crystalrabbit 西屋 時間がたつにつれて,西屋で翔坪が亡くなったときの状況が次第にわかってきた。潤也には、恭子の死よりも、こちらのほうがむしろ異常に思われた。 伊沼島の南西に伸びる小山の斜面にちょうど東屋の瑚宝家と対峙するようにあるのが猿橋家…

東屋

crystalrabbit 東屋 七時半である。夏の日の入りは遅い。日が西の彼方の島影へ没してからもなおしばらくは、空も海も明るく、いつまでも夕闇は伊沼島を訪れようとはしなかった。 「恭ちゃん遅いわね」 夕食の準備がほぼ終わって、恭子は着替えに自分の部屋に…

ダバオへ

crystalrabbit ダバオへ 一九〇五(明治三十八年) マニラ マニラの街は雨季特有の大粒の雨に煙っていた。肌に染みつくような湿気には、十分慣れているとはいえ、決して気持ちのよいものではなかった。いや、湿気以上に、くしゃくしゃした気分が余計に気持ち…