パトーリ

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パトーリ


 リカを乗せた飛行機は霧の中をドゴール空港へ着いた。
 ドゴール空港で国内線に乗り換えた。
「リカ、さあ、ここがパリだよ。ここでおりて、もう一度別の飛行機に乗るんだ」
 パトーリは自分の言っていることが、相手に通じているとは思っていない。でも、一人で黙々と事務的に旅をするのはいかにも味気ない。そこで、できるだけこの少女に語りかけながら、旅をしようとしたのである。
 はじめのうちこそ、見知らぬパトーリを黙って見つめるだけだったが、少しずつ笑顔が現われはじめた。それに気をよくしたパトーリは、自分としても最大の明るい表情を作ってやさしく話しかけてきた。
「わかってくれるかい。リカ。リカでいいんだろうね。いい名前だから、違っていてもいいや。本当の名前がわかれば、ニックネームにしてもいいしね」
 国内線の中型機の窓側に二人そろって腰をおろしたときには、リカはどちらかというとはしゃいでいるように見えた。
「リカ」「リカ」
 パトーリはリカの顔を右手の人差し指で指しながら、言うとすぐ同じように自分の顔を指して、
「パトーリ」「パトーリ」
と言って笑った。
 何度こういうやり方を繰り返したことだろう。
「パトーリ」
 リカが突然言った。そして、パトーリの腹を手で突いた。パトーリが振り向くと、リカと目があった。リカは笑いながら右手で窓の外の景色を指してた。
 眼下に、その上を通過している村々の灯が星座のようにチラチラとまたたいている。「きれいだね。どのあたりを飛んでいるのろう」

 パトーリは楽しかった。リカの目が赤々と輝いていた。その澄んだ笑みをふくんだ目は敏捷に右へ左へと動き、パトーリはかしこそうな少女だと思った。

「もうすぐ、マルセイユだよ。マルセイユが気にいってもらえるかな」
 パトーリが言うと、リカは微笑んだ。パトーリは、リカがしゃべらないだけで、自分の言っていることが理解できているのではないかと思った。
「リカ、おじさんの言うことがわかってる? リカは口を開かないから、おじさんはリカがわかっているのか、わかっていないのかが、わからなくなっちゃった。……そうだ、リカ、右手を出してごらん」

 パトーリは言葉だけでリカに通じているのだろうかと思い、表情や手振りに意味をこめないで言った。しかし、急にリカをこわがらせてもいけないので、笑顔だけはたやさなかった。
 リカはパトーリのほうを見ているだけだった。
「リカ、それじゃあ左手を上げてごらん」
 同じようにパトーリは言った。しかし、リカの態度にも変化はなかった。こんなばかなことをしても仕方がないじゃないかと、パトーリは自己嫌悪に陥る寸前だったが、もう一つだけ試みてみることにした。
「リカ、立ってごらん」
 結果は同じことだった。やはり、リカにはパトーリのいうことは聞こえても、言葉はわからないのだ。さっきまでと、同じようにできるだけジェスチャーもまじえて話せば、感のいい子だから、こちらが驚くような理解ができるのだろうとパトーリは思った。そのほかにも、この子がどんな能力をもっているかは、想像もできない。しかし、今はとりあえずここま理解できたことにしておこう、とパトーリは納得した。

 急いではいけない。相手は子供なのだ。

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