嵐をこえて

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嵐をこえて

                  一

「秀ちゃん、一人でおばちゃんのおうちまで、お使いに行けるかしら?」

「うん、だいじょうぶだよ」

 秀ちゃんは、お母さんに向かって元気よく答えました。お母さんが声をかけたとき、秀ちゃんはお庭で、砂遊びをしていたところでした。お庭の砂場には、お父さんが海からとってきた小さな灰色の砂がたくさんありました。

 その日はたいへんよく晴れた秋の日でした。

 じつは、秀ちゃんはおばちゃんのうちに一人で行ったことはなかったのです。しかし、あまりに天気がいいものだから、ついつい調子にのって、だいじょうぶだよ、と言ってしまったのです。

 秀ちゃんは、垣根の上でひなたぼっこをしている黒猫ピョンをちらりと見ました。秀ちゃんとしては、さっきのお母さんとの会話を、ピョンも聞いているはずだから、同意のサインでも出してくれてもよさそうなものだと思っています。しかし、ピョンが、そのことを知っているのかいないのかは、ともかく、顔をからだにのせるように丸まって、目をつむって静かにしているきりです。

 秀ちゃんには、ピョンがとぼけているのがよくわかります。ピョンはさっきからの会話を聞いていたに違いないのです。そして、秀ちゃんが、ピョンの同意を求めたとき、片目でもあけてくれると思っていました。それなのに、ピョンは秀ちゃんを無視して居眠りを続けています。きっと目はさめているのに、居眠りをしているふりをしているのに違いありません。

 お母さんが家の中へ入ってから、秀ちゃんは言いました。

「ピョン、一緒に行ってくれるだろう」

「ああいいよ」

 やはり、ピョンはさきほどの話を聞いていたのです。秀ちゃんがたずねると、すぐに目をあけました。

「でも、だいじょうぶかな?」

 ピョンが言いました。そして、垣根からピョンと飛び降りると、砂場の横で、からだいっぱいに前足と後ろ足で開いて、前のほうから地面に近づけて、大きく伸びをしました。

 秀ちゃんはさっき作った山にトンネルを掘ろうとして、近くから掘りはじめました。ピョンは秀ちゃんの近くにきて、ねむたそうに秀ちゃんを見ています。そして空を見上げてから、再び秀ちゃんのほうを向いたかと思うと、前の片足で、自分の顔をなではじめました。ときどき、その前足を赤い舌でペロリとなめてから、しきりに顔をなでています。 「さあ、秀ちゃん準備ができたわ。これをおばちゃんのおうちまで届けてね」

 お母さんが、茶色のバスケットをもってきました。中に何かが入れてあって、その上を赤い縞のハンカチでおおっていますから、中のものが何かはわかりません。

「中に何が入っているの?」

 秀ちゃんは思い切って聞いてみました。

「クッキーよ。きれいに包んであるから、途中で開いてはだめよ。そのかわり、秀ちゃんと、ピョンのおやつは別に準備してあるわ」 と、お母さんは言いながら、エプロンのポケットから小さな包みをふたつ出して秀ちゃんへわたしました。

「わーい。おやつまであるぞ!」

 秀ちゃんは大喜びです。ピョンは半分は自分のだぞ、と言わんばかりに秀ちゃんをにらんでいます。秀ちゃんとピョンの目が合いました。

「わかったよ。わかったよ。ひとつはピョンのだよ。心配しなくてもわけてあげるよ」

 秀ちゃんがピョンに向かって、やさしく言うと、とたんにピョンの顔は笑顔に変わりました。

 

   二

 こうして、秀ちゃんとピョンがおばちゃんのおうちめざして家を出ました。

「ピョン、こんなにいいお天気だし、おやつまでもらって、言うことないな」

「いいお天気と言っても、秋のお天気のことだから、この先どうなるかわからないよ」

 ピョンは秀ちゃんとだけいるときは、話ができるのです。まわりに誰かいると、ピョンは決して秀ちゃんとは、話をしません。

 秋の日がピョンの黒い毛にあたって輝いています。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。さあ、楽しく行こうよ」

 アスファルトが秋の日にあたっています。みちばたにはプランターに植えられたベゴニアの燃えるような赤い花びらがひときわあざやかに続いています。

 秀ちゃんはうれしくてたまりません。ピューッと口笛を吹くと、道路ぞいの木のうえにいた雀がいっせいに秀ちゃんの頭上を飛んで行きました。

 これにはピョンも驚いてうれしそうに見送りました。

 右手にまわるとすぐに山道にさしかかりました。

 ここからはアスファルトも切れ、湿った土の感触が冷たく感じられました。

「日陰が続くと、気持ちがいいね」

 秀ちゃんがいいました。

アスファルトよりやはり土のほうが、あってるよ」

 ピョンは一段と元気になったようです。

「ピョンの足の裏は、そういうふうにできているんだから、アスファルトより、ずっと健康的だ」

「快適だよ」

 ピョンはうれしそうにどんどん歩いていきます。

 まわりが木々でおおわれて少し暗くなりました。でも歩くのに困るというほどのことはありません。空気がひんやりして気持ちいいほどです。それに木から出るさわやかなにおいが、秀ちゃんを喜ばせました。

「ピョン、すてきだな」

「秀ちゃん、こわくない?」

「こわいことないよ。気持ちがいいもの」

「足元に気をつけてよ」

「うん、だいじょうぶだ」

 小さな森の中に入っていたので、少し暗くなっても、それが当たり前だと、秀ちゃんは思いました。だから、空の黒い雲がどんどんと大きくなって、秀ちゃんとピョンの真上に来ていることに気づかなかったのです。

 秀ちゃんが気がついたのは雷の大きな音がしたからです。その前にピカッーと光りました。でも驚いたのは音のほうにです。秀ちゃんが立ち止まると、ピョンも止まりました。

 すごい雨です。急にバタバタバタと何かを叩くような音がしたかと思うと、大粒の雨がどっと落ちてきたのです。

「あそこだ!」

 秀ちゃんは枝振りのいい木が小径を覆っているところが少し先にあるのを見つけ、走りだしました。ピョンも続きました。

「ああ、よかった。ここでしばらく休もう」

「ここなら雨に当たらなくていい」

 ピョンがこう言って目を細めました。寝てしまうのではないかと思った秀ちゃんは何か言ってピョンを眠らさないようにしようとしました。

「そのうち止むさ。この森を出ればすぐだ」

「ほんとに?」

「そうだよ。前も来たことがあるんだ。森を出てアスファルトの道を下ったところから、見えるんだ」

「そうか、それなら安心だね」

「赤い屋根のおうちだからね」

「赤い屋根か・・」と言いながら、黒猫ピョンは空のほうを見ている。空から落ちている雨の激しさを考えているのでしょう。

「もう少しだが・・・」どうも、ピョンは雨が好きでないようです。 

「西のほうが、明るくなっている。すぐに止むよ」

「そうだね。気長に待とう」

 いつも欠伸をしているか眠っているピョンに、気長に待とうと言われて、秀ちゃんは、おかしかった。

 そうこうしているうちに雨が止んだので、やっと森を抜けて出た。

 アスファルト道路は、雨に濡れて黒く光っている。

 秀ちゃんの指さすほうを見ると、確かに赤い屋根のお家があった。crystalrabbit

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