大いなる遺産

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大いなる遺産

 

 アメリカ留学時代の友人であるカリホルニア大学教授のユーリン・マッケルシーからEメイルが届いたのは金曜日の午前10時過ぎだった。

「極めてインタレスティングな化石が発見された。ぜひとも意見を聞きたいのでできるだけ早く訪ねられんことを・・」

 大西雄次は、マッケルシーのことだから、今回もまたその報せが大西にとって無意味なものではないということを確信していた。

 ユーリン・マッケルシーは大西とは二才年長の、同世代に属する生物考古学者である。大西がカリホルニア大学の博士課程に留学した年、マッケルシーはハバード大学で人類学の学位を最優秀でとり、カリホルニア大学の生物考古学教室のアシスタント・プロフェッサーとして赴任してたきたばかりの俊英であった。

 大西が翌年、古生物の進化に関する理論で学位をとるやいなや、マッケルシーは大西を自分の研究スタッフの有力な一員として迎え、その後の大西の飛躍の機会を提供した。

 カリホルニア大学をこの分野で世界一に引き上げたプロフェッサーのサミュエル・スミス卿が勇退後、学部の改組が行なわれ、考古人類学教室のプロフェッサーをマッケルシーが担当し、考古生物学教室のプロフェッサーを大西が担当するようになった。

 大西は三八才になっていた。日本を発って一四年の歳月が流れていた。

 その間に大西は結婚し、ひとりの娘が生まれていた。

 

 

 大西は三日後には会えるだろうという返事をすぐに送った。どうしてもやっておかなければならない二三の仕事を大急ぎで片付け、残りは全てキャンセルすることにした。

 大西はてきぱきと仕事をこなしながら、あの頃の事を懐かしく思い出した。

 あの頃は全てが輝いていた。自分自身の栄光だけではなかった。アメリカも日本も、いや世界中が偉大な未来へと向かって前進していた。実際にはそれは見かけだけの事で、取り立てて言うほどの希望や夢に溢れていたのではないかもしれなかった。しかし、夢を見るだけでも人間は十分幸せになれると言うことが、今では十分過ぎるほどに大西には分かっている。そして、それでよかったのだと、今でも納得している。

 

 空港には、マッケルシー出迎えに来ていた。大西は日焼けしたマッケルシーの顔を見ると胸が熱くなった。いや、大西の心は、上空からアメリカ大陸の芒々たる荒野を望んで以来、青春の日々が蘇り、胸に熱いものを感じていたのだ。 大西は、ここが自分の原点だと改めて思った。

 大西が、アメリカでの恵まれた地位を擲ってまで、日本に帰ってきたことに対しては、大西をよく知る人の間にも、賛否両論があった。もちろん、大西が、それらの意見に一つひとつ返答を求められたのではなかったが、大西には、彼らの、胸中が痛いほどわかっていただけに、弁明も言い訳も不要だと思った。

 マッケルシーの自宅で、豪華な夕食の接遇を受けた。ワインの芳香に、往時の日々を思い出していた。マッケルシーは、かつてのような、ぎらぎらした才能のかたまりのような印象は薄れ、そのかわり、落ち着いた物腰の中に、いわば碩学といった印象すら与えていた。四年前にこの地を去る前にもこうして何度か、夕食の招待を受け、夫人の自慢の料理にワインを傾けながら、おそくまで互いの夢を語ったものだった。

 しかし、今夜は過去の話が中心で、最先端の話がでなかった。

 そのことを、大西が切りだしてみると、マッケルシーは顔をやや曇らせて、低い声で言った。

「そのことは、ぜひとも詳しく意見を聞きたいのだが、問題がやや難しすぎるので、食事がおわってからにしようと、思っているのだよ」

 やはり、という思いが大西の胸の中を走った。報せが急であったが、マッケルシーともあろうものが、こうして大西にじかにアドバイスを求めるということはただごとではなかった。

「オッケー。十分にご馳走になった。さっそく仕事の話に移ろう」

「まあ、そんなにあわてることはあるまい。そうやって食事も十分に楽しまないで、すぐに仕事の戻るのが日本人の悪い癖だよ」

 笑いながら、マッケルシーは大西のグラスにワインを注いだ。

 マッケルシーの言う通りだった。アメリカに留学したての頃は、このように食事が終わるとすぐに勉強の話に入っていったものだから、よく、アメリカ人の仲間からたしなめられたものだ。それが何度もつづくと、さすがの大西もこの国のやりかたにも慣れ、それが文化というものだと納得したが、それでも、時々昔の癖は出た。そのことを思い出して、大西はくすっと笑った。マッケルシーも同時に笑った。

「ははは、あの頃のことを思い出したよ」

「おれも」

 大西が相づちをうった。

「すっかり、ごちそうになった。そろそろ、仕事の話にかかろうか」

 大西が言うと、今度はマッケルシーものってきた。

「オッケー。さあ、はじめよう。つい懐かしくなって長話しをしてしまった。わざわざ遠方をおいで願って思い出話にいつまでも花をさかせているわけにもいかないさ。さあ、行こう」

 こう言ってマッケルシーは立ち上がった。大西も続いた。

 マッケルシーの書斎はダイニングの上、二階にあった。マホガニーの机と、レザーのソファーが中央に占め、左右の壁は天井まで作りつけの書棚で覆われていた。書棚には、大学の研究室とは異なり、父譲りのシェイクスピア全集や、マッケルシーの愛読書であるヘミングウェイのハードカバーもあった。

 

「これを見てくれ」

 マッケルシーが出したものが目の前にあった。飛び込んできたと言ってもよいような衝撃だった。

……

 声が出ない。一瞬、大西は、これが化石かと思った。化石として不自然だからではない。化石としてはごくありふれたものだ。しかし、大西の頭はこれまでに体験したことのないショックで一瞬働くのをやめた。、自己のこれまでの人生は果たして何だったのだろうか。今まで自分が追い求めてきたものが、雪崩を起こして崩壊していくような感じだ。

 鳥だろうか? ヒトだろうか? いや、どちらでもない。いや、いや、どちらともとれる。ヒトであり、鳥でもあるのだ。

 そんなことが果たしてあり得るのだろうか? 古生物学の常識にまっこうから対立する。このようなことを、信じろと言っても、信じるわけにはいかない。進化の道筋が異なるのだ。いかなる、進化の過程で、このようなヒトと鳥の両方を備えた生物が誕生するのだろうか。・・・・大西の頭は混乱していた。

 マッケルシーは、インタレスティングと表現したが、そう思うまでにはしばらく時間がかかると思った。

 

  DNA鑑定は済んだのだろうか。もし、ゲノムさえ解析できれば、ヒトか、鳥かの区別ぐらいはつくだろう。crystalrabbit

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