マリア昇天

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マリア昇天

 

 夕凪亭主人の北田才太郎は、55才の時勤めていた会社を辞め、瀬戸内海の山荘で半農半漁の悠々自適の生活を送っている。その山荘を夕凪亭という。山荘といっても、特別のものではなかった。海の見える山懐にある、いわば隠れ家だった。本宅は麓にあるのだが、今では、寝泊まりまでこちらでしているから、どちらが本宅かわからない。

 夕凪亭は、北田家の山畑に建っている。雨の少ないところだから、除虫菊と薩摩芋くらいしか作りようのない猫の額ほどの痩せ地である上に、農道からも遠く、父が年をとってからは耕作が放棄されていたところだ。

 ところが何年か前に、観光道路が山肌を削って造られた。ちょうどその痩せ畑に隣接する山林がこの道路の用地にかかり、買い上げられた。山林はこの観光道路によって分断されたが、この痩せ畑へのアプローチは格段によくなった。

 こういう事情であるから、ここに小屋を建てて農具を置き、野菜作りを始めた。幸い、水道も敷設されており、昔のように除虫菊と薩摩芋に限定する必用はなくなった。好きなときに灌水することができた。農薬も化学肥料も簡単に運べた。

 こうして、新たに農業を初めてみると、昔のことが改めて思い出された。あの頃は同級生のほとんどが農家であった。あるいは、父親が造船関係の工場に勤めていても、畑や田圃があって祖父母か母が農業をしていた。・・あれから半世紀、すべてが変わった。仕事も変わったし、生活も変わった。目の前にプラスチック製品が溢れている。それにアルミニウムも。燃料もガスや電気に変わった。そうして膨大な耕作放棄地。今更、昔の生活に戻るわけにはいかない。それでも、毎日わずかの時間でも土に触れていると人類の歴史の大部分はこうして、食糧を獲得するのに費やされたのだということが、改めて思われるのであった。

 はじめは農具置き場の倉庫のようなものだったが、次第に増築していって、今では倉庫と言うよりも住居に近い。住居といっても内装がそうなっただけで、外観は山小屋風で海の見える自然とうまくマッチしていた。住んでいるとおのずから身の回りの品々は揃うもので、はじめのうちは不自由していたが、今ではまったく問題はなかった。

 ここからの瀬戸内海の眺望は抜群で、青い海に浮かぶ小島と麓の家々がまるで箱庭のように俯瞰できた。野鳥の鳴き声に混ざって教会から、鐘の音が聞こえることもあった。風向きによっては聞こえる遠くの工場の音も、生活の息吹のように感じられる。港に寄る巡航船の汽笛やエンジンを吹かす音は定期的に聞こえるが、潮の干満によって間が異なる。

 この頃では、小学校時代の同級生らの知人が訪ねたり、元の職場の同僚やら、あるいは大学時代の学友が泊まりに来たりする。

 その日も、夕食を支度をしようと思いながら、黄昏ていく島影を眺めていると、常連の作次郎がやってきた。作次郎は小学校時代の同級生で、今もこの町に住んでいる。家業の酒屋と弁当屋のほうは、ほとんど細君と息子に任せて、自分は週に二日ほどタクシーの運転手をしている。根っからの車好きで、アルバイトというよりも趣味のようなものだ。

メバルが上がったので・・・」こう言いながら、作次郎が入ってきた。

「それは、ありがたい。今の季節はやはり煮付けかな」

「そうしようと思う」

 こういうと早速料理にかかった。

 こうして、作次郎は夕凪亭をあたかも自分の家でもあるかのごとくに、自由に使って三十分後には、料理されたメバル白磁の皿に盛りつけられて食卓にでてきた。

 日没後からかなり時間が経って、眼下に見える瀬戸内もすっかり日暮れて島影が黒く浮かび上がっていた。

 ワインは10年ほど前のイタリア産で、これも作次郎が以前に持ってきてそのままにしてあったのものだ。甘さがメバルのほうに負けているのが、かえって舌にここちよかった。

 皿の隅で鮮やかな彩りを添えている絹莢は、冷蔵庫にはなかったはずだから、これも作次郎が持ってきたのであろう。

 その夜の会話は深夜まで続いた。その時の話題の一つは以下のようなものだった。

 

「あの時の気持ちはちょっと言葉では言い表せないね」

 こう作次郎は切り出した。

「あれは、夏前の頃だろうか。ちょうど家の隣に広がる田圃の緑が規則正しく揺れて、静かに風にそよいでいたからね。緑の稲はそろって元気よく成長して、これから稲穂が膨らむという頃だった。

 今でも記憶に焼き付いているよ。

 昔の火葬場に行ったことがあるかい。今はどこも近代的で火葬場というイメージから遠いが、昔のは釜も煙も見えて、まさに生者と死者を引き裂くような、はかなさが漂っていたよね。今でも不思議に思うのは、人を焼くときに緑の炎が出るものかしら。あれは、同じ町に住む従姉が亡くなったときのことだよ。あの頃はまだ市の葬祭場ができていなかったから地域の火葬場を使っていた。旧式のものだったのだろうが耐火煉瓦でできていて、周囲に薪をくべる口があってね。最後のお別れに一人一人が薪を一本ずつ入れるんだ。僕は子どもだから最後のほうだった。僕が入れ終わった頃にはかなり炎が大きくなって、焚き口のほうまで溢れていた。だんだんと独特の臭いが出だしたのだろうね、みんな足早に遠ざかった。僕もその流れに従った。戸口のところで最後に振り返ったとき、確か緑色の炎が見えたんだ。あの時のことは永く記憶に残ったね」

「そりゃあ珍しい」

「三つ年上の従姉でね。なぜか分からない突然の死でね。

 もともと身体は強いほうではなかったから、急性心臓発作ということで、問題にはならなかったが、今日日なら司法解剖ということになるのだろうね」

「君、それは自殺だよ」 才太郎がひょいと言った。

「何で自殺だってわかるんだ?」 作次郎はびっくりするほど大きな声をだした。

「ははあ、君にもやはり心当たりがあったのだね。図星だね」

「知ってたのかい」

「いや、知らないよ。君の従姉といっても誰のことかわからないよ。ところで君はどう思うのかね」

「一瞬自殺かなとは思ったことはあったが、誰からもそう聞いたことはないし、その後思ったこともないぜ。それをいきなり言うんだから、驚くよ。何を知ってるんだい?」

「何も知らないよ。そう思っただけだよ」

「何も知らなくて、そういう直観が働くということは・・・。今、それを聞いて長い間心にひっかかっていたものが、納得したような気持ちになった。そうさ、自殺に違いない。自殺だったに違いない。明日、おばさんに聞いてみよう。もう何年も経っているから、本当のことを話してくれるだろう」

「それではね、形見の品か愛用してたものをお棺の中に入れたかも尋ねてみてよ」

「?」

「・・・」

「自殺と何の関係があるの?」

「おばさんの返答次第だろうね」

「何のことかわからないけど、聞いてくるよ」

 

 翌日も夕方作次郎はやってきた。

「お前の言うとおりだった。おばさんが話してくれたよ。それにしても、どういう推理か話してくれよ」

「ああ、それじゃ話そう。でも晩飯を食ってからにしようよ」

「そりゃ、そうだな。でも今夜は仕事だ。遅くならないうちに退散するよ。酒代わりに名探偵になってもらおう」

「探偵でも何でもないがね。まあ、食事のときに・・さて、今夜は何がいいかね」

「ハムとキャベツでどうだね」

「いいよ。飯は残りがある」

「それじゃあ、すぐできる」

 こう言って、作次郎は冷蔵庫を開けた。

 

「俺は飲まないけど、ビールか何か飲むかい?」

「いや、今日はアルコール無しだ。今はね」

「寝酒もいいね」

「深夜独酌さ。必ず眠くなる」

「そりゃ極楽だ」

「そのうち、そのまま目覚めなくなるかもな」

「それはそれで結構なことだよ」

「この世の宿題をすべて済ませておけばね」

「ああ」

 とりとめのない話をしながら、晩飯がテーブルの上に装われた。

「いただくよ。こうして作ってもらうと助かるよ」

「それじゃ、下界へ降りればいいだろう」

「晩飯はここに限るよ。人生至上悦楽だね」

 と、いって窓の外に目をやった。太陽が没したばかりだから、島影がまだ見える。白い明かりが、あちこちいに浮かんでいる。漁船だろうか。

「ぜいたくだよな」

「うん」

「そろそろ本題に入ろうよ。叔母さんも自殺だと認めたよ。一月ほどして遺書らしきものが出てきたそうだ。俺が知らないのによくわかったな」

「うん、まあ。それで、例のお棺に入れたものは?」

「ブロンズのロザリオ・・・」

「え? クリスチャンだったの」

「そんなことはない。我が家もあそこも曹洞宗だよ」

「そうだろうね」

「クリスチャンじゃないけど気にいってずっとつけてたそうだよ。保育園知ってるだろう」

「勿論。一年だけ行った。二年目は公立の幼稚園だ」

 その保育園はどの宗派かは知らないが、教会が経営していた。

「日曜学校とかでもらったらしい」

「懐かしい言葉だ。日曜学校があるとは聞いていたが、行くのは大抵が女の子で、男はいなかった」

「そうだ。クリスチャンの家の子はともかく仏教徒の子で行くのは女子に決まっていた」

「それをずっと愛用していたというわけか。ブロンズのね・・。見たことはないがそんなのもらったりしたのだろうか」

「そういう話は知らないね」

「保育園だものね。大昔さ」

「それが、何か関係あるのかね」

「これで完結さ。ループが閉じた」

「何のことやら。では、何故自殺だとわかった」

「緑色の炎さ」

「説明してくれよ」

「塩素系農薬だと思う」

「それがわかるのか?」

「塩素系農薬と銅があれば、燃やしたとき緑色になる。だから、銅でできた飾りか何かをもたせたのかと思ったよ。ブロンズのロザリオなら、ぴったりだ」

「信じられないな」

 夕凪亭主人は、黙って立ち上がると農機具庫から銅の針金をもってきた。

サランラップだ」こう言いながら戸棚から取り出した。

 少し切って銅線の先に巻いた。換気扇のスイッチを入れて、ガスレンジの前に行った。「よく見ててよ」

 こう言ってサランラップを炎の上にかざした。

「おお」

サランラップの代わりに塩素系農薬でも同じことだよ」

「銅じゃなくブロンズだぜ」

「ブロンズはメッキじゃない。表面に銅もむき出しだよ。同じことが起こる」

「わかった。塩素系農薬なら、どこの家にもあった。ではなぜ殺人事件でなく自殺なんだ」「ははは、こちらはもっと簡単だよ」

「というと」

「塩素系は弱いから殺人事件などには使わないよ」

「でも、死んだ」

「それとこれとは話が違う」

「というと?」

「死んだのは確かだ。それは量が極端に多いか、もともと身体が弱かったかのどちらかだろう。しかし、それは結果だ」

「それで」

「今度は毒を盛る側のことを考えてみればいい」

「そうか、確実性のないものは使わないということか」

「そうだ。弱い薬品を多量に使えばすぐにばれる。それでは毒殺の意味がない」

「彼女が身体の弱いことを知っていたとしたら?」

「だからと言って薬品の量がわかるというものではない。知っていても毒を盛る方は強いのを少量盛る。あの頃は強いのがいくらでもあったからね」

「ホリドールなんか凄かったね」

赤紙で旗を作って立てていた。中に入るな。川にも行くなと小学校で何度も注意があった。それでも、下流で事故があったというからね。怖い話だ」

「その怖い薬がそこらじゅうにあったというのだから、逆に言えば平和な世の中だったんだよ」

「鍵をかけない家が多かった」

「泥棒はどこからでも入れたが、でも、泥棒はいなかった」crystalrabbit

雪わたり

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雪わたり   

 

 ひゅう ひゅう ひゅるるん 

    ひゅう ひゅう ひゅ 

 ひゅう ひゅう ひゅるるん 

    ひゅう ひゅう ひゅ 

 

 日本海から吹きよせる風が、木立にあたって笑っているような朝だった。

 

 揺れているのはだあれ。

 

 顔を上げたわたしに 白銀の世界がまたたいていた。

 薄(ススキ)が一面におおっている枯野。その 枯野に雪が積もって、白い世界ができた。

 

 その日、わたしは熱を出して起きれませんでした。

 窓をあけた縁側から、銀色の輝く世界が一望できます。

 せっかく母の実家に行っていながら、わたしだけが病気で、一人さみしい思いをしていました。

 

 ひゅう ひゅう ひゅるるん 

    ひゅう ひゅう ひゅ 

 あいかわらず、日本海から吹いてくる風が笑うように、鳴っているのに、こちらには風は向かってきません。家の後のほうに植えた防風林が揺れている音でしょうか。

 

 朝日がまばゆく銀色の世界を照らします。 その朝日の中に、動いているものがあります。人形のように、色とりどりの服を着た、小さな人は何でしょう。

 それはまるで妖精です。

 いえ、妖精なんかじゃありません。

 ゆきわたり。

 ゆきわたり、と言います。おさない日に、寒い夜、祖母から聞いたゆきわたりだったのです。

 ひゅう ひゅう ひゅるるん 

    ひゅう ひゅう ひゅ 

 さっきから聞こえているあの音は、防風林の音ではなくて、ゆきわたりの踊る音だったのです。crystalrabbit

塩の道

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塩の道

 

 市は川沿いにあった。市の近くに桟橋が設けられている。そこは浚渫され,たいていの船が積み荷一杯でやってきてもいいようになっている。今,目のまえでの川を船が昇って来る。荷物を満載した船だ。やがて停泊した。人夫が降りる。人夫が揚がる。荷物が慌ただしく降ろされる。

 

 塩が積み込まれはじめた。

 キャラバンが一週間前に運んだものだ。

 

 風が吹いている。砂塵が舞い上がり、視界が急に悪くなる。煙か雲のように、近くの駱駝が見え隠れする。遠くの駱駝は、いや駱駝のみならず、遠くの景色も、何も見えない。しかし、その風もまもなくおさまり、砂漠はもとの静けさと乾燥した砂の原に戻った。 

「明日発とう」隊長が静かに言った。砂塵はやっと修まった。ちょうど、出発前に出くわしたので、今回はやり過ごすことができた。長く続く場合もあるが、この季節には襲ってきてもあまり長くは続かない。しかし、途中で出会うこともある。 

 いよいよ出発の準備だ。準備は早朝から始まった。いつものように、駱駝の咆哮が、乾いた大地に轟いた。首を巨大な蛇のように右へ左へと捻りながら動かした。自らの宿命を呪うかのような、哀しい叫びが長く続いた。

 しかし、その声に同情する者はいない。この厳しい自然は、ただ無言の作業を強いる。黙々と作業を続けていく。それがすべてなのだ。哀れみも、反省も、希望すらも、意識の対象外なのだ。

 先頭の駱駝を少年が引く。棒の端に縄を結び、その他端が先頭の駱駝の顎に結わえられている。その先頭の駱駝の尻尾から二本の縄が伸び、その縄の他の端はそれぞれ次の駱駝の顎につながっている。

 熱砂の中を暖められた空気が上昇し陽炎となって視界を妨げる。朦朧とした風景の中に、人影が動く。動物が動く。夥しい数の動物の移動。陽炎のゆらめくさまが、大気の温度の急上昇を告げる。灼熱の砂漠を、駱駝に荷を負わせて、隊列は粛粛と進む。

 塩を運ぶキャラバンである。crystalrabbit

柿沼

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柿沼 

 

 この古代史学者-というのは、あまり正確ではないが、さしあたってこのように呼んでおくことにしよう-は、いかにも年代ものといった古風な、小さな家の大半を自分の書斎として使っていた。その書斎は、一段低くなった床が松の板の間になり、南側に観音開きの窓がある他は、他はすべて木の壁でできていた。その壁は見事な節のない桧でできていたが、大部分が書棚で、今では降り積もった根雪のように覆われた書物で、その木目を伺うことは難しかった。南側の窓からは庭の縁に植えてあるしのぶひばが、影を作って、午後の日が弱く室内に差し込んでいた。しのぶひばは、枝の先が枯れたように変色していたが、春の日に当たって黄金色に輝いていた。

 山は緑に萌えていた。丘のいたるところに芽吹いた春の草があった。熊笹の若い葉が、通過した風の真似をするように静かに揺れている。赤茶色の土壁をむきだしにした、倉庫が松林の切れた断崖の果てに、見捨てられたようにたっている。黒い道が曲がりくねって、轍の跡を留めている。時折鳴く山鳥の声が、古寺の甍を越えて、中国山地のかなたこなたにこだまするよう響くのが、長閑かさとともに不思議な妖しさを作る。アスファルトとコンクリートのビルでできた都会から来た青年には、こういう雰囲気に陶酔するとともに心のごく奥深いところで、拒否しようとする気持ちがあるのを感じないではいられない。しかし、今は後者の気持ちを押さえて、この環境にどっぷりつかりたいと氷室功は思った。氷室は窓から見えるしのぶひばや、さらにその向こうに広がる針葉樹の林にも、都会人特有のセンチメタリズムを感じた。そしてさらに、魅惑的な思いにとらえられるのは、この山の中の村に歴史というものが、過去の遺物でははなく今も連綿と生き続けているという憧れにも似た信念だった。

 教室で習う歴史というのは、埃だらけの古い紙片から消えかかった文字を介して想像する世界だった。それはひとたび目をあげて、ごついアルミに縁取られた窓から白いコンクリートの隣の棟を眺めれば、一瞬に消え去ってしまう、陽炎のようなものだった。ビルが、線路が、自動車が反射する光は明るすぎた。知識から感覚へという、たえまない訓練を瞬時にして無の闇へと破壊する、殺人光線だった。それにひきかえ、この土地の日の光の何と柔らかいことであろうか。これなら、歴史というものが、まっすぐに身体の中まで沁み込んで来る。満月の夜、雨が降ると墓が踊るという伝説さえも、その精神の最も深いところで、歴史と繋がっているような気持ちすらするのだった。そして、その歴史というのは近代のフィルターを通しての歴史ではあるが。

 だが、この中国山地の土地は思った以上に古いのだ。磐井の乱大化の改新の頃と同じだとは言わないまでも、古代さながらの谷川を古代さながらの石清水が流れ、朝夕に響く寺院の鐘の音も、はるか昔の鐘の音だった。夜の闇を魑魅魍魎が跋扈すると言っても、信じないほうが異常と思われるほどの霊気に満ちている。

 氷室功が、目をあげると、この部屋の主は静かに広がりながら上昇する煙の輪を眺めながら、楽しそうに口元を小刻みに動かした。日下部博士の左手に握られたパイプがかすかに入る弱い日を反射する。和ニスのような光沢を放つ桜の木の色艶が、それを嗜んだ歳月の長さを語るかのように、柔らかい手の中で揺れた。

 一昔前の小説なら、このような書斎も珍しくはあるまいが、今時の若い者は、だいいち書斎という言葉自体に抱くイメージに確たる自信を持ち得まいから、最近の小説には多分無縁だと思ったが、自分の祖父の代の青年の読む本には、よくある大道具ではなかっただろうか、と氷室は思いつつ、薄暗い書斎と博士の手の中のパイプを眺めた。煙の消えていく向こうには、もうすっかりこの部屋の一部と化した書物が大きさごとに整理されて、いかにも日下部博士の篤実な学風が偲ばれた。

 日下部博士は大きな体を揺すりながら、パイプにタバコをつめていた。互い違いにはめた天井の板の間が明かり取りになっていて、そこから入ってくる光が博士の頭部にソフトなスポットライトを当てていた。半分白髪に覆われた黒髪は、長くふさふさと首の後部まで達していた。顔はどちらかというと大きいほうで、日に焼けて艶々と輝いていた。仕事柄、書斎に閉じこもっているのだと、だれしも思うに違いないが、さにあらずで、けっこう戸外に出ているらしい。顎はがっしりととして、二重になっていた。眼鏡は大きな顔にあわせたのか、飴色の太い縁がくっきりと鋭い眼のまわりを取り囲んでいた。眼は、顔が大きいから小さく見えるが、事実小さかった。しかし、その光は強く、鋭かった。しかし、それは時おり見せる仕草から伺えることで、消えかけた煙の輪を追う眼は、蒼く澄んで、柔らかかった。そしてまた、あのおどけたような表情のときの眼。三人の別人のような表情を一日のうちにころころと変えていくさまは、氷室功にとっては驚きだった。

「日下部にはもう三年も会っていないが、今でもその仕事は一級品だよ。ぜひ、君も一度訪ねておくのがいい」と、指導教官の友岡教授が氷室に言った。「いや、そんなことはどうでもいい。とにかくいい男なんだ。僕とは大学に入った年からの親友でね。それぞれ、まったく別のところで育った人間が、同じ学科に同じ年に入学したということだけで、かくも親密な関係をその後送るとということは、やはり、人生の出会いというものの不思議さを思わないではいられないね。それ以来、僕らは勉強するときも一緒だし、もちろん遊ぶときもよく一緒だったな。それぞれが研究者の道を選んでからも、不思議と衝突することもなく、二人とも、学会から早くから認められるような仕事をしていた。それが、ここの大学の教授の席があいたとき、日下部は、それを俺に譲って、さっさと中国山地ぞいの田舎に帰ってしまった。恩を売るつもりなど、いっさいないさ、親父の土地があるものだから、ぜいたくな生活を選んだだけだ、と屈託なく言ったものだ。彼に二枚舌がないということは俺が一番よく知っている。自然の中で、ほんとうにしたいことだけをしている幸福な男さ。だからと言って、学問的に甘いところがあるわけではなし、こちらにいたとき以上に該博な知識をさらに該博にしてますます健啖と言ったところかな」

 友岡教授の言うことに、嘘はなかった。いやそれ以上に、日下部博士というのは不思議な人物で、初対面ながら五分とたたないうちに、相手の心をなごませる力を備えていた。しかし、それとて相手に妥協するとか、媚び諂うというのではなく、毅然とした態度で終始一貫しながら、それでいて相手に数十年来の知己であるかのような錯覚を抱かせるほどの親密感を抱かせた。氷室功はすぐに日下部博士が好きになり、知らず知らずのうちに自らの胸襟を一杯に開いていた。もちろんこれには、出発前に日下部博士からもらった手紙のせいもある。友岡教授は、氷室のことで博士に手紙を書いてくれたのだ。その返事は、まるで小学生のうちでもあまり上手でない子供が書いたような素朴な悪筆で、躍動しすぎた文字に多いに楽しまされた。これがかの碩学とも呼んでもいいような人物のしたためたものかと思うと、相手は怪物でも何でもなくて、そんじょそこらの市民と同じであるという印象を腹の底から持った。そして角っこにちまちました字で、博士の住んでいるところの周辺に材を取ったとおぼしき、素朴な詩が綴られていた。これも、毎日乾いたアスファルトとコンクリートでできた都市にもう何年も生活している氷室の気持ちを多いにくつろがせたものである。

 さらに氷室は柿沼に着かないうちに日下部博士に会っているのである。列車の中で偶然にも博士と会っていたのである。

 中国山地の端に位置する柿沼に行くには、岡山からローカル線に揺らて、小一時間は単調な景色に我慢する必要があった。しかし、幸い氷室は、日下部博士のおかげで、そのような思いを味あわずにすんだ。      

 薄曇りの上に夕刻が近付いたせいか、ローカル線に乗る氷室の気持ちは決してはずんだものではなかった。急ぎ足に、乗り換え列車へと向かう人らとは対照に、しだいに塞いでいく気持ちはどうしょうもなかった。他のホームが乗り換え客や、帰宅途中のサラリーマんでごった返しているのに、自分の立つホームだけが閑散としていた。

 柿沼は、岡山県の県庁所在地である岡山市からあまり遠くはなれていない小さな町である。岡山県は中国地方の中部に位置し気候温暖な地帯である。県北は中国山地を形成する山岳地帯だが、南部は瀬戸内海に面し、幾代にもわたって行なわれた干拓地が、広い平野を形成している。京都からは山陽新幹線を利用すれば二時間もかからないうちに岡山市に達する。あるいは、国道二号線に平行して走る高速自動車道を利用するのも便利だった。

 柿沼町の町はずれの高台には「柿沼監獄」があって、異様な姿をさらしている。その姿は町の中からはどこからでも見えるし、また隣町の渋沢からも見えた。

 この地はもともと沼地で、今監獄のある高台だけが小さな島のような浮いていた。当初はこの島に監獄が作られたのであったが、時代とともに埋め立てられて、今は平野となり、町になったのである。当局では、はじめ埋め立てることにより、囚人の脱走がより容易になる、との理由で反対するものが多かったのだが、科学技術の発達で、囚人監視も容易になったので、周囲の沼を埋め立てることによって、むしろ監獄の管理は容易になるという意見もあり、地元自治体の同意も得られたので埋め立てられた。しかし、ここは低地で、年中湿気を帯びており、あまつさえ天候の関係で不快な匂いが時折していた。

 この高台に「隠れ家」と呼ばれている古い建物がある。これは昔罪人を拷問した場所で、あまりにもその拷問の苛烈さに多くの囚人が命を失った。今はここは処刑場となっている。crystalrabbit

 

まこ

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まこ

 

 鎌倉の由比が浜海岸がから北へ少し入ったところの高台に、さして立派でもないが小さなお堂があった。流円坊というひとりの修業僧がこのお堂に住んでいた。修業僧とはいうものの、この世のことがつくづく厭になったので、ここで独り暮らしているというだけのことである。

 世間では、出家したとか、いろいろ言っているらしいが、当の本人には、出家も何もなかった。ただ、その日その日を生きているだけだった。

 はじめの頃は、その修業の姿もたいそう立派で、またいろいろと自戒した言葉などを里の人々に授けていたものだから、人々にたいそう慕われていたことは言うまでもない。しかし、流円坊は由緒ある寺院で深く学問をしたわけでなく、また読書などしない人であったから、説教の種も尽き、人々からあまり相手にされなくなった。

 人間というものはいつの時代においても大きく変わるものではない。現金なもので、里人も、流円坊を敬わなくなると、それまでに流円坊に届けていた日々の糧とする蔬菜なども、近ごろでは届けるものもめっきり減った。

 春の暖かい日であった。流円坊は濡れ縁に横になって、柔らかい陽射しを浴びて気持ちよさそうに青空を眺めていた。青空には、所々に白い雲が綿のように小さな塊をなして浮いていた。その雲は白一色で澄みきった青空に映えて、清新の気を増していた。

 その雲を見ていると、青い空に吸い込まれそうになる。そのままうとうとと眠ることもある。

 別に流円坊が年をとったからというわけではないが、最近とくに昼間から眠くなることがおおかった。里人の訪れがめっきり減ったせいもあって、流円坊はこうして昼間から濡れ縁に横になってうとうとする日が多くなった。

 この里には、夜になるとやってきて、布団の中にはいってくる人懐こい珍しい動物がいた。まこと言って猫に似ていたが、身体はもっと大きくて子どもの半分ほどあった。しかし、人を襲うということはなく、猫同様きわめておとなしい動物であった。

 流円坊は何事にもこだわらぬたちの男であったから、まこが来ても意に介さなかった。まこにとってはきわめて扱いやすい人間とみえて、よくじゃれついた。冬の夜などは、だまっていても流円坊の布団の中に入って、暖をとった。そして猫のように喉をぐるぐる鳴らしながら寝ていた。

 時々、流円坊の背中を前足で引っ掻くように擦った。ちょうど背中の手が届かないところであったので、流円坊は心地よく、まこのするままにさせていた。背中が痒いときも痒くないときも、まこはこのようにして、よく流円坊の背中を掻いた。

 そのまこがやってくるのが、村人と同じように最近減った。まこのような動物にも人の心がわかるものだろうか、と不思議がったものである。そしてとうとう全く姿を現さなくなった。だから、背中が痒いときは流円坊は、自分の手を背中にまわして掻くしかなかったので、随分苦しんだ。そして、ふと口を開いたて、漏らした。

「まこの手がほしいな」

 それを聞いた村人のうちのある者が、後日、竹の先を曲げた物をつくり、流円坊に差し出した。

「これをまこの手の代わりに使われるとよろしいでしょう」

 その時以来、他の村人たちも、その先の曲がった竹の棒を「まこの手」と呼ぶようになった。いつしか、それに漢字を当てて「孫の手」と記すようになった。crystalrabbit

水戸烈士ノ墓ニ詣ズ

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水戸烈士ノ墓ニ詣ズ -江木鰐水日記抄-

 

明治元年九月

 大政を奉還して幕府は瓦解するもなお、一部の吏員党を組みて、反抗する。福山藩阿部候はもと徳川幕藩体制下においては親藩なりて、代々幕閣人士を出す家柄なり。御一新このかた、福山藩、薩長の新政府に恭順を示すこと頗るなり。新政府、藝州より上るに際し、城を開け恭順を示し、戊辰の役に協力す。

 我が藩に函館へ兵士五百名の出張の命が下りしは、去る九月七日のことなり。

 我は正月以来、小丸山修築の業に携わり、巴隍(はこう)の水車を管理している。それが突然、呼び出しがあり慌てて登城したのが十九日午後のことであった。城では執政の山岡氏から命を受けた。軍事参謀として函館へ行けという。御番頭の席なり。陣服が準備してあった。末世とはいえ、懼れ多いことである。自分には勤まらぬ、固辞するも、極北寒沍の地函館は攻めるに難き所なれば、是非にと乞われる。軍機戦略の才無し。平生水理地形に心を留めて國の守備を昼慮い夜思うばかりなり。

 イギリス国軍艦モーナ号が着岸したので明日鞆の浦に行くよう指示あり。

 十日ばかりあり、巴隍(はこう)の水車の事は五十川基の甥に後事を託すべく官よりより許可をいただき、あれこれと伝う。

 

 明治元年十月二日午後四時 イギリス国軍艦モーナ号にて備後福山鞆津より出航す。

 明治元年十月五日 加州敦賀の港にモーナ号接岸ス。

  函館戦争に向かう道すがら、われわれは敦賀の港に停泊した。大野藩兵乗船のためである。

 ここはつい先年まで、常陸から中山道を通って、世を騒がした、水戸烈士が投降して斬首された土地である。

 元治元年十二月二十二日、のことであった。上坂し、水戸の武田耕雲齊ら百余人が加賀藩に降ったことを聞いた。

 上京し冤を訴えんとし、木曽路より上る。路、梗塞(きょうそく)不通、撃してこれを開く、曲してこれを迂る。艱苦して江北(神保)駅に至る。加州の兵これを守る。一橋候逆を撃たんと欲す。浪士すなわち加州の営に至って降る。

 思えば異常な事態は、彼我もまた同じであった。親藩ご三家の水戸藩から激越な尊皇攘夷の天狗烈士が生まれ、幕府に刃向かったということで処分された。一方我々のほうはどうだ。老中首座阿部政則公を出した親藩の福山藩が、今函館にいる幕府軍を撃とうとしている。まるで夢の中の世界の出来事のようではないか。crystalrabbit

 

人面瘡

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人面瘡   -少年少女恐怖館ノ内-

 

 もう一月くらい前の話だが、人面犬というのが流行ったことがある。人の顔そっくりな犬がいるという話である。

「ねえねえ、由香。人面犬って、聞いたことある?」

 真美が階段を追いかけてきて、言った。

「ジンメンケン? それ何? 聞いたことないわ。」

 由香は、どこかで聞いたことがあるような気がしたが、思い出せないので、逆に尋ねた。

「人の顔に、犬の顔が似ているという、あれよ。去年の夏休みに、騒いだことあったじゃない?」

「去年の夏? そんなのあったかな?」

 左足がちくちくすると思っていたら左腿の脛に近いあたりが赤くなっている。痒さもあるが、今はちくちくする。学校へ行くときはスカートを履けば隠れるが、ブルマからは出てしまうので、嫌だなと思う。

 ちくちくしなくなったと思ったら、色がだんだんと黒ずんできた。なぜここだけがこのような色になるのかわからない。机に座ってスカートをあげて見ると、ちょうど脛の上あたりが丸く色が変わっている。少し痒いので、左手でぽりぽり掻くと、掻いたところは赤くなる。掻くのをやめるとしばらくして、赤くなったところがだんだんと黒く変わっていく。黒いといっても血が固まったときの色よりもうすい、赤っぽい黒さである。

 こういうことを繰り返して、何日かたった。よく見るとそこが人の顔のように見える。耳に相当する部分はないが、よく見ると、目と口があるようだ。嫌だなと思う。気のせいに違いないと思ってスカートの先を引っ張って見えなくする。

 一日、痒くなかったので、そこを見ることも掻くこともしなかったが、次の日、また痒いので、傷をつけないように軽く掻いた。ちょっと掻くと痒みがとれるので、やめる。しばらくするとまた痒くなる。同じように軽く撫でる程度に掻く。こういうことを一日に四五回する。

 もともと皮膚が弱いせいか、汗疹になったり漆にかぶれたりすることが多かったから、足が痒くなるのは、彼女にとっては特別のことではなかった。従って毎日、腿の下が痒いといって医者に診てもらうということなど考えもしない。たいてい痒ければ掻き、そのうちに痒さもおさまるというのが、いつものことだったのである。

 それが今回は、同じところがいつまでも痒いので、そこが痒くなって何日目かによく見ると、丸くなっている。ちょうど人の顔を画くときのような、卵型になっている。その中の一部は赤くなったり、やや黒ずんだりで、痣のように見えた。

 どうもその形が気になる。特別に何かの形に似ているというのでないのに、気になるのである。学校ではいちいちスカートを上げて見るわけにいかないから、手を入れて掻くだけである。しかし、家に帰るとその痒いところがどうなっているか見ずにいられない。

 毎日学校から帰って、自分の部屋に入ると、すぐにスカートを上げて見ていると、だんだんと濃淡がはっきりしてきているのがわかる。おぼろげながらも、その形や色の濃淡が、人の顔のように見える。誰といって特定の人のように見えるわけではない。ただ、ぼんやりと顔のように見えるのである。気のせいと言えば、そうかも知れない。・・・考え過ぎかもしれない。あまり深く考えないことにしようと思った。そう思って軽い気持ちで、痒くなれば掻くということを繰り返している。

 何日かしてよく見ると、口に相当するところに、小さな穴がある。机の上にあったケーキの端を一粒つまんで押し込むと、痒くなくなった。

 翌日は煎餅があったので、やはり端を一粒つまんで入れた。不思議だ。効果があった。・・・こんなことが一週間続いた。よく見ると食べ物を入れてやると、目の部分が笑っているように見えた。痒いとき見ると、怒っているようにも見えた。crystalrabbit