2015-05-01から1ヶ月間の記事一覧

残照

crystalrabbit 残照 建久九年(一一九八)十二月二十七日のことである。頼朝は御家人の稲毛重成の橋供養にでかけた。稲毛が亡き妻元子の供養にと相模川に橋を作ったのである。 元子は時政の六女で、相模の豪族稲毛氏に嫁いでいたのだが、数年前風邪をこじら…

星の降る里

crystalrabbit 星の降る里 湖のまわりから生い茂った草は、生命感にあふれていた。勢いよく大地から伸びた緑色の葉は、みずみずしかった。湖は静かに水をたたえて、遠くの樹木を写していた。あちらこちらへとたわわに枝を張らせた木々も、大地へしっかりと根…

分家

crystalrabbit 分家 氷川洋二は、山南村、といっても、今は合併して沼隈町山南という山間の農家の次男として、昭和四年に生まれた。 戦争が終わって兄が復員して、家庭の平和が戻ったとき、分家して一家をなすことになった。嫁は下山南の遠縁からもらい、兄…

鬼岩

crystalrabbit 鬼岩 藁葺き屋根の家の前に路地がある。いつものように老婆が静かに歩いている。お岩ばあさんである。 「おばあちゃん、ごきげんいかがですか。」 通りががりの人が優しく尋ねる。 「ああ、おかげさんで、元気、元気・・・・。」 「ほんに、お…

北斗アニマルファーム

crystalrabbit 広島・北斗アニマルファーム 4月18日(日) このところ急に太陽が明るさを増したようだ。山々の新緑がまぶしい。名川沙耶子は、サングラスを通してほぼ南中しかけた太陽を仰いだ。キャノンに70ミリを装填して、肩に吊っている。それにバッ…

動物隔離棟

crystalrabbit 動物隔離棟 農林水産省動物検疫所 関西空港支所 検疫第2課(関西空港検疫場,霊長類検疫施設) 檻に入ったマカクザルは,赤いうつろな目で無機的に広がる青い空を見ていた。猿というのはだいたいが赤い目をしているので,目が合った運搬係も…

生家

crystalrabbit 生家 彩子の生家は島の南東にあった。桟橋から見ると左前方の位置に当たる。 自動車が家に近づくに連れて道路は広くなり、いつの間にか敷地内に入り込んでいた。敷地内の広場を舗装道路が玄関前で廻っていた。そこで彩子と潤也が降りると、恭…

伊沼島

crystalrabbit 伊沼島 四〇分ほどで、巡航船は伊沼島についた。長い日が西に傾いて、海面を黄金の鱗のように輝かせている。桟橋は伊沼島の北側の入り江にあった。岬の突端を廻ると小さく旋回して桟橋へ横付けになる。そのとき一際エンジン音が高くなる。足下…

めまい

crystalrabbit めまい 四拾五歳だった。いつまでも、若いつもりでいたが、もうそんなに若くはない。年をとるということが不思議なような気持ちになるが、認めなければならないと、今では思う。 そんな気持ちに彼をさせたのは、ある朝の出来事だった。いつも…

フリージアはわたしよ

crystalrabbit フリージアはわたしよ フリージアが死んだ。貨物を満載した軽トラックに轢かれたのだ。 日差しが柔らかくなって、庭の植物の緑も日々少しずつその色を濃くしていた。 霞んだ空に朝から春風が舞っていた。物干し棹の片方が落ちて、白い洗濯物が…

春雷

crystalrabbit 春雷 若葉がそよ風に静かにゆれている。校庭の周囲をめぐるプラタナスの若葉が、春のやわらかい日に映えて、薄緑色に輝いている。 その若葉が、小きざみに、そしてゆっくりと葉全体でゆれている。紋白蝶が一匹どこからともなく翔んできて、緑…

ピエロがくれた金魚

crystalrabbit ピエロがくれた金魚 中国山地のうち、広島県と岡山県の県境のあたりでは、赤い魚は魔性のものの変化だと信じられており、現在でも、錦鯉や金魚を家庭では飼育しなゐ地域はかなりある。 川上翠庵「備後の伝承」(鳳文館、大正十二年) 一 土曜…

春霞

crystalrabbit 春霞 そこは、岡山県のS市の西側に位置する、小さな村だった。このあたりはどの村も水が豊富で、初夏に訪れれば緑の水田が目を奪うし、夏が終わって秋が訪れれば、黄金色の稲穂が風に揺れているのを見ることができる。 中国山地に湧く水を源…

島渡り

crystalrabbit 島渡り 珠洲(すず)の海人(あま)の 沖つ御神(みかみ)に い渡りて 潜(かづ)き取るるといふ 鮑珠(あはびたま) 万葉集4101 先の親方が春先に急死して、今瀬龍三に親方の役が突如廻ってきた。 島渡りの支度をする五月は間近に迫っている…

生月島

crystalrabbit 生月島(いきつきしま) —せとうち抄— 1 教育委員会の村瀬さんから、生月島へ行ってみないかという電話があったのは、春霞で遠目が効かない日が続いていた頃のことだった。佐賀県の生月島から、電話があって、私どもの関係者の墓が出てきたと…

ふり姫

crystalrabbit ふり姫 一 風がそよいでいる。日本海から吹き寄せる風である。 潮風がとおりすぎると、またもとの冷気が館をおおう。 「お兄さま、このところお父さまのお顔がすぐれないようですが……」 「戦のことは女子供は心配せずともよいわ」 と、フノム…

宮津幽斎日記

crystalrabbit 宮津幽斎日記 天正十年水無月二日 入江に入りかつ出てゆく潮の流れも、また味なものよ。 ・・・ 京よりの、急ぎの使者あり。婿殿の件を伝う。驚愕一再ならず。気を静めることこそ肝要なり。 光秀殿の今回の挙を使者より耳に入れ、信じ難きこと…

crystalrabbit 岬 雨上りの欝陶しい午後だった。私は長い電車の旅から一時的にも解放されたくて、接続している連絡船には乗らずに、そこで降りてしまった。 駅のホームをたどたどしく歩いて、駅前に続く商店街のほうへと、私の足はひとりでに向かった。この…

出航

crystalrabbit 出航 三羽のユリカモメが白い腹をみせて数回旋回した。 遠くで別の船の汽笛が長く尾を引いて鳴った。 緑色の海水が船と桟橋の間を流れていく。ゆれる船の間から、白い泡がまわりながら昇ってきた。白い巨体が静かに振動を続けている。スクリュ…

幻影

crystalrabbit 幻影 1 「ちょっとー」 由紀の声に早野香は顔を上げた。もう少し先まで読んでからにしたかった。でも、由紀の声は、それを許さなかった。 「うん」 早野香と由紀の眼があった。激しく火花が散った。 由紀は、さすが早野香だと思った。 図書館…

家路

crystalrabbit 家路 瑚宝彩子は、夏休みになったら、白石潤也を伴って帰省し、家族に紹介する予定であったが、父の容態が思わしくないという連絡があったので、予定を変更して帰省することにした。そのことを彩子から告げられたとき、潤也は、是非一緒に行き…

北北西に進路を取るな

crystalrabbit 北北西に進路を取るな 「さっきの刑事さん、なかなか絵がうまかったね」 ハンドルを握っている小野寺進が言った。 赤のミラは初夏の海に面した道路を静かに走った。朝出かけに、田島屋ホテルの女将さんが出してくれた。よっかたらどうぞ、とい…

悲しみの大地

crystalrabbit 悲しみの大地 レストランうたせ船であなたがたの会話を聞き、パラグアイのことを調べているとわかりました。祖母から聞いたことや、まだ知らないことを洩れ聞くにつけ、詳しく聞いてみたいと何度も思いました。しかし、僕が名乗り出ると、パラ…

大観覧車

crystalrabbit 大観覧車 二人の乗ったゴンドラはゆっくりと地面から遠ざかっていく。 「さっき大観覧車の下にオリーブの木があったから、笑っちゃった。いい取り合わせね」 白峰千恵が奥の椅子に座って、小野寺進のほうを向いて笑った。 「悪い趣味だよ。そ…

メンバーズクラブ・レェイ

crystalrabbit メンバーズクラブ・レェイ 「先生はこちらへ来られる前はどちらへおられましたか」 「呉の聖労会病院に2年かな」 「それでは、民岡先生とは・・・」 「民岡先生の後任ですよ。ですから呉ではご一緒には勤務していませんね」 「民岡先生にはラ…

廃屋

crystalrabbit 廃屋 同じ夢を何度も見た。自分が何であるかはわからない。村から村へとさすらう旅人のようでもある。 風は昼すぎから吹き出した。山頂から吹き降ろす風は、時に急旋回をして、山を覆う木立の葉叢を震わせた。 夕暮れになって風は更に強くなっ…

海辺の墓地

crystalrabbit 海辺の墓地 断崖の下は海である。穏やかな浪が寄せては遠ざかる。幾年にもわたって浸食されて複雑な大小の穴が縦横に伸びた岩場に、浪は当たっては砕ける。白い泡が生じて瞬く間に消えていく。その音が風にのって崖を這い上がる。その音を追い…

木曜島からの手紙

crystalrabbit 木曜島からの手紙 —せとうち抄— 市内の女子大に通う一人娘の亜也子が、電車とバスを乗り継いで帰ってきたとき、母の葉子はいたずらっぽく笑いながら口を開いた。 「やはり、あのお姉さんの作文、見せてあげればよかったのに」 「・・・」 夫の…

トンド

crystalrabbit トンド —せとうち抄— 1 マニラで生まれた長浦峰子は、小学校へ上がる前に、両親の故郷である田島に帰ってきた。そこには、祖父母と峰子の兄が住んでいて、峰子ががマニラから戻ったので、四人で暮らすようになった。家族一人が増えるだけでも…

虹の章

crystalrabbit 虹の章 一 東から西へ向かって流れる千町川は、その流れがあるかなきかに停滞している。 淡い初秋の陽が川面でわずかに反射し、柔らかい日差しは川底の小魚を照らした。鮒に似た小魚が数尾群れをなして、藻を漁っている。このあたりでは「はえ…