日本人形

crystalrabbit

日本人形   

 

「おもしろい話を聞きましたよ」

 部屋に入ってくるなり、小泉がこのような話し方をしたのは初めてである。

 所長の水城は体をひねるようにして、小泉のほうを見た。

「持ち主の頭が必ずおかしくなるという人形の話は、ご存じですか?」

「いや」

 興味がある、というよりも不快感に似た表情を水城は示した。

「不思議な人形です。この人形の持ち主は、必ず、頭がおかしくなるという言い伝えがあって、今度もまた、その通りになったというので、みんな不思議がっています」

「人形というと日本人形だろうね」

「あれ、ではご存じなのですか」

「いや、そういう話はやはり日本人形でならありそうな気がしたものだからさ。フランス人形でそんな話をされても、ちょっとピンとこないよ」

「所長もやはりそう思われますか。僕もこの話を聞いたとき、いかにも日本人形にぴったりの話だと思いました」小泉は続けた。「よくできた市松人形など、夜ひとりで見てると、不気味ですからね。どことなく生きているような気持ちになりますから、日本人形というのはやはり、気味のいいものではない。特にこんな話を聞くと」

「へえ? 君の部屋には市松人形が飾ってあるの」

「まさか。そんな趣味ありませんよ。実家にある人形のことを言ったまでですよ」

「そういうことか、それなら安心した。話を元にもどして・・・」

「それで、その人形がまた特別に大きくて、まさに生きた人間のようだというんです。非常に精巧にできた傑作で、本来ならかなりの美術品として重宝がられるところでしょうが、何分、この変な噂のせいで、買い手がなくて値も下がっていたと言われてました」

「実際に、そんなことがあるのかね。ばかばかしい」

「単なるうわさですからね」

「ははは、そう言いながらも、興味があるんだな。顔に書いてあるよ」

「えっ? いや、そんなことは……

「ははは」

「所長も人が悪い。せっかく町の話題を提供しようと思ったのに……

 小泉は、所長にからかわれて、これを塩にこの話題を切り上げた。

 水城はまったく関心を示さなかったのではない。ただ、長くなりそうだな、と思っただけである。現在進めている仕事のことをざっと計算した。少なく見積もっても、二ヵ月はかかるだけの仕事があった。現在かかっている仕事が嫌だというわけではないが、少し単調になりすぎているとは思う。しかし、ここで投げ出すわけにはいかないのだから、ゴシップに関する話題はほどほどで打ち切ったまでである。仕事は仕事で進むし、興味のあるものは、それはそれでまた関心をもっておけばいいと思っている。  

 ということで、依頼のない仕事に時間を費やすゆとりはなかったが、小泉がこの話に、たいそう関心を示しているということは、長年一緒に仕事をしてきている水城には一目瞭然だった。

 その日の午後、水城の友人の川村という男から電話があって、この人形について相談したいと思っている男がいるということを聞かされた。詳しいことは、依頼主が事務所に訪ねるからよろしく頼むと言って電話は切れた。

 それから三日後の秋晴れの日のことだった。水城リサーチに、一人の男が現れた。川村さんにご相談したら、こちらのことを教えていただいたと語った。気味の悪い人形について調べてほしいということだった。この人形にまつわる正式なる調査の依頼である。水城は驚ろかなかったが、小泉にとっては思いもかけない依頼で、ちょうどチャンスにヒットを打った野球選手のような気持ちになったに違いなかった。

 その依頼というのは老舗の旅館の館主が、少し前発狂し、死んだというものだった。警察では病死として相手にされなかった。その館主の従弟の依頼であった。

 依頼人は背の低い、しかし肩の張った精悍な男だった。

「お聞きおよびかもしれませんが、その人形の持ち主は必ず発狂するという言い伝えのある人形によって、発狂し先日亡くなったのは、私の従兄なのです。警察では単なる病死ということになりまして、捜査は打ち切られましたが、私としては納得がいかず、こうして真相の究明をお願いしたいのです」

 水城のほうをまっすぐ向いて、その男は話した。

 水城は友人の川村から事情の一部は聞いていたから、この依頼に特別驚くことはなかったが、それでも依頼主本人の口から依頼されると、何かがついにきたかという変な感慨に襲われた。この話を先日助手の小泉から、単なる町の話題として聞いたとき、何か悪い冗談か、あるいは事件を背後にもつものかのどちらかと決めかねて、できることならかかわりたくないものだと自分では思いながらも、心の一遇で、引かれるものを感じていたことを今悟った。そして同時に、そのような自分を発見して腹がたった。

 仕事としてではなく、単にゴシップ好きの一市民としてなら、多いにおもしろかろうと思ったが、仕事として引き受けるとなると、気が重い。しかし、あっさりと断るわけにもいくまい。

 水城は、二三気にはなっている事件を持っていたが、知人の紹介もあるし、それに何よりも気味の悪い人形というのに惹かれて、引き受けることにした。こういう商売をしていると、よほど高額の依頼に集中しているのでもない限り、何件もの依頼を並行して進めるのが当たり前になっているので、ここで仕事が一つ増えたからといって、これまでの業務に差し障りが出るわけではない。

 人形というのは、取り立てて水城の趣味というほどのものではないが、その姿形はもとより、人間の形に似せて物を作るということ自体に、何かいいしれぬ興味を抱いた。  

 人はなぜ人形を作るのだろうか。人はなぜ人形を身近に置いておくのだろうか。

 人形に魂を入れたいと願わない人形師はいるのだろうか。

 とはいえ、本当の意味で、人は人形に魂を入れることができるのだろうか。

 人は魂の入っていない単なる物体としての人形を作ることができるのだろうか。

 さまざまな考え方が水城の脳裏をかすめた。

 ともあれ、人形というものは不思議なものだから、人形を近くに置いておくと何かが起こってもおかしくはないと水城は信じている自分に気がついた。

「はい、そのような話は耳にしたことはありますが、あくまでも巷の噂としてわたしたちの耳にも入っていたという程度で、何らそれ以上の詳しいことは承知しておりません」

 まるで警戒するかのように、その件とのかかわりを、どちらかともいうと、過小評価して話した。心の中で騒ぐものがあっても、今回だけは、嫌々ながら引き受けたというようにもっていきたいと思ったのは、職業的な勘であった。

 

「どうだね、君が最初に聞いてきた話の件だから、これは一先ず、君の担当にしようと思うがどうだね」

 水城が言うと、小泉は我が意を得たりと言わんばかりに、にっと笑みを洩らした。男の人生にはときに、このように仕事と自分の目的とが一致するという稀な一瞬があるものである。その一瞬の光芒の中で燃え上がった情熱をいかに長く持続させるかによって、日々の生活の張り合いが違うものだ。小泉のこの笑顔も、確かにその一瞬の光芒に違いなかった。

「ええ、願ってもありません。個人的にも、惹かれるものがありましたから、本気で取り組めるとなると、張り合いが出ます」

「あまり張り切りすぎると、後の仕事にも影響がでるからな。まあ、ほどほどにやっててもらいたいというのが、僕の率直な感想だ」

「ええもちろん、本気でやりますが、無茶はしません。ミイラとりがミイラになる手前で、やめておきます」

「おいおいぶっそうなことを言うてくれるじゃないか。ミイラ取りだなんて。そこまで深みにはまっちゃあだめだよ。こういう件は、さらりとやるというのが、ビジネスの鉄則というものだ。深入りしたからといって、世紀の大発見があるわけではない。真相を極めたところで、依頼主が満足するわけではない。現実はむしろ逆なんだよ。依頼主の本音のところを見極めることが肝心だ。事実の究明を求めているのか、あるいはぶつけようのない怒りを、ぼく達のところへ依頼することで昇華させようとしたのか、あるいは人間関係のなりゆき上、このような依頼をせざるをえなかったのか。……いろいろあるだろうが、すべての依頼人がすべて事件の完全な解決など望んでもいないというのが、この業界の大勢だよ」

 

 すでにしている仕事と並行して小泉は、この怪しい事件の調査を、その日から始めた。小泉自身が、この話は巷の噂と知って興味をもっていた事件だから、彼にとって嫌なはずはなかった。翌日一番で、二人で訪ねることにした。

 

 朝、水城リサーチのオフィスに定時に出勤すると、水城のほうから、小泉を誘った。

「すぐに行こう。昨日の件だ」

 こう言って、上着をハンガーからとると水城は小泉を促した。

 水城リサーチは、倉敷グリーンビルの二階にあった。階段を地階まで下りると、駐車場である。視界にブルーのロードスターがある。水城は黙ってロードスターめがけて歩いた。小泉は助手席のほうに回った。いつものことだった。たいていは水城が運転して、小泉が助手席に座った。その日も同じパターンだ。小泉が助手席に座って、ベルトに手を掛けると同時に水城はロードスターをスタートさせた。半回転して、朝の光が射す車道に出た。

「さて、どこから行こうか」

 水城は小泉に言うのではなく自分に言い聞かせるように、つぶやいた。

「・・・・・」

 どこから行こうかと言って、人形の持ち主の家しかあるまいと、小泉は思った。なぜわざわざ考えないといけないのだろうか。

「ん? 行けばわかるさ」

 小泉の返事がないのに気づいた水城は一人で考え始めた。

「・・・・・」

 小泉としては、下手に相づちなど打ちたくない。それでも水城は小泉と話したそうに、タイミングを測っている。

「今回の事件は、実に不可解だな。かといって車の中で話すほど明確ではない」

「ああ、そうですね」

「変な事件だ。いや、事件と呼んでいいかもわからない」

「はあ」

「兎に角、行ってみるしかあるまいな」

「はあ」

「ところで朝食は?」

「はい。軽く」

「軽くというと、コーヒー一杯とか、牛乳だけとか・・・」

「そんなもんです」

「それじゃあ、ちょうどいい」

 こう言うと水城は左のウィンカーを出して、すぐに車線を変更した。交差点が近づくとまた左のウィンカーを出した。こう行くとたいていは喫茶「クレージー・アイアン」だ。小泉は水城に連れられて何度も来たことがある。

 歩道に乗り上げるとすぐに専用駐車場になる。半分以上は埋まっているがまだ、かなり余裕があった。

 たいてい、ここに朝来るとモーニングセットである。今朝はなじみではないウェイターが氷水の入ったコップとポリエチレンの包装に入ったおしぼりをもってきた。

「モーニング二つ」

 水城が言った。小泉に異存はなかった。

「急ぐほどのことはないさ」

 水城はおしぼりのポリエチレンの薄い包装を破りながら言った。水城は熱いので何度も手で持ち替えながら、両手を拭いた。小泉はいつもするように、手を拭く前に顔の上で開いた。目が覚めるような熱さだ。でもその熱さははじめだけですぐに温度は下がった。熱いおしぼりで顔をこすると元気が出るように思われた。

「だが、それにしても奇妙なこともあるものだ。初めから解決不可能のように思われるが、何もしないで結論を出すのもおかしいので、とりあえず、行って見るまでのことさ」

「そういうことですか。今日はいつもと違って、オフィスを出てから行き先を考えておられるので不思議に思っていました」

「考えてみても無駄さ。こういうことは現地を見るに限るよ」

 水城はこう言って笑った。しかし、小泉は笑わなかった。

 コーヒーを飲み終わると、水城と小泉はクレージー・アイアンを出た。

「変な人形と言ってもねー、人形が変なのか、持ち主が変なのかは誰にもわからない・・・・」

 ロードスターのギアをチェンジさせながら、水城は口を開いた。

「持ち主?」

 小泉は、持ち主がおかしいとは思ってもいなかった。

「所有者が必ず狂うという、変な人形があって、その通り狂った。こんな話を、今の若い人が信じると思うかね?」

「人形とかおもちゃには、長い間に魂が宿ると信じている人ってけっこういるかもしれませんね。却って若い人たちのほうが本気で信じているかもしれんです。コミックによくある話ですよ。」

「いや、その信じるレベルのことさ。本気で信じているのか、軽い気持ちで信じているのか」

「それは、軽い気持ちに決まっていますよ。証明せよと言われたら、できないというしかないほどのものですからね」

「それでは、その人形とかおもちゃで人が死んだとしたら、それを人形やおもちゃのせいだと、若い人は思うのだろうか?」

 こう言って水城は笑った。

「それはないと思う。だから、軽い気持ちでしか信じていない」

 ロードスターは大きく曲がって、旅館街の一角に入った。道路を隔てて反対側には、観光ホテルの巨大な建物が並んでいるが、こちらは純和風の石州瓦の地味な灰色の屋根を戴いた古い旅館の軒が複雑に交差していた。漆喰の白壁が年月を経た黒い柱木の中で映えていた。

 しかし、アスファルトで固めた駐車場は、明治期の洋燈を模した街灯で周囲を囲っていたとはいえ、あたりの景観にはそぐわなかった。その駐車場に車を入れ、二人は歩き始めた。

 路地を入るとすぐに目当ての旅館はあった。本来なら旅館というのはたいてい打ち水をしていて訪問客を新鮮な気持ちにさせるものであるが、玄関前の石畳にはそのようなことはなされてらず、乾いた空気が覆っていた。

 こういう玄関の石畳に打ち水がしていないのは、妙に殺風景なものである。crystalrabbit

 

 

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