古磯家奇伝

crystalrabbit

古磯家奇伝

 

 最近舌が長くなったような気がする。それに何か便利な器官が一つ増えたような感じで、自分の能力について再考する必要があるのではないかと思い始めた。

 蛙に近づいているのだ。これは祖父の時代にした大蛙との約束であったに違いない。

 

 土蔵の中で、その古文書を読んだのは、秋も深まった頃のことだった。それは、私の家(うち)に代々伝わる古文書で、実に奇妙な内容であった。

 何でも、何代も前の先祖の一人に、風変わりな人物がいたようである。その男のことを古磯弥太郎という。その記録は、弥太郎よりも三代か四代後に書かれたものらしく、詳しいことは私にも推定するしかないのであるが、不思議というよりも奇妙な話であった。

 概略を記すとこのようなことになるだろうか。……それは、その男と、大蛙との約束である。古磯の家には、庭がついており、その庭の真ん中には大きな井水があり、溢れるばかりの水をいつも湛えていた。そこからわき出た水は庭の大半を占める池に満ち、多くの水棲動物の住処となっていた。

 朝な夕な、弥太郎がこの池の前に来て物思いにふけるとき、池の中から一匹の蟾蜍が現れた。翌日も、また翌日も……。蟾蜍は、弥太郎が危害を加えぬのですっかり安心しているように、弥太郎には思えた。

 何日目だったろうか。弥太郎は、蟾蜍の目がいつになく自分の方を向いており、何か語らんばかりの光を湛えているように思った。

「何か言いたいことがあるなら、述べよ」

 弥太郎は、ごく自然に言った。さげずむでも無く、逆に過度に丁重に遇するでもなかった。もちろん、蟾蜍風情に、人の言語を解するのよく能わざることぐらいは、百も承知のことながら、このときは、それすら忘れていたというのが、正直な気持ちであった。

 しかし、蟾蜍に人語の発せるわけがなく、しばし沈黙は続いた。

「遠慮なく、述べよ」

 と、再び弥太郎が口を開いたのには、それなりの訳があった。蟾蜍の目が微かに動いからである。

「ならば、話そう」

 そう言って、蟾蜍の口が上下に動いた。

 

 蟾蜍の要求はこうだ。蟾蜍が小磯家の当主になりたい。ただし、無条件で、そのようなことをいうのではない。自分の力で、弥太郎を村一番の分限者にしてやるから、その孫の代から小磯家を譲ってほしいというのだ。勿論、蟾蜍のままで当家を継ぐのではない。蟾蜍が人間に化身して当家を継ぐのだから、村の者にも家に住む雇い人にも誰にも、小磯家が蟾蜍のものになったことはわからないというものだった。

 

 弥太郎は、蟾蜍風情にそんなことができようとは、思えなかった。この蟾蜍のいうことを鼻から信じてなかった。それにしてもおもしろいことをいう、蛙よのう。ここはひとつ話し相手になってからかってやろう、と思った。

「して、いかなる方法にて我を分限者にするぞ?」

 蟾蜍は弥太郎を見つめたまま何も答えない。はは、馬鹿な奴よ、ろくに思考もできないくせに大それたことをぬかす、と弥太郎は心の中で馬鹿にした。

「そんなことはどうでもよい。ただ分限者にしてやるから、孫の代から儂を当主にするかしないか決めればよい」

 蟾蜍は抑揚のない声で喋った。

 おろかな奴め。それ以上の考えはさらさら持たぬものと思った。

「どうする。厭ならそれで構わぬ。今日の話はなかったことにしよう」

 こう蟾蜍は投げやりに言うと四肢を同時に蹴って身体全体を反転させて、今にも池の中に飛び込もうという態勢になった。

「待て。その話、承知した」

 弥太郎のこういう声を聞いた蟾蜍は一度うなずくように頭を地面に下げてから、大きくジャンプして水の中へ帰った。

 これが、小磯家の土蔵にあった文書のうち、この件について書かれたものの全てである。crystalrabbit